2011年6月30日木曜日

6月30日

ひととの会話とか、質問と応答って、コンピュータの検索機能ににてるかも。

それで、それぞれのコンピュータのなかに、ある種のフィルターみたいなのがかかってるとして(フィルターってそういう使い方していい言葉かどうかよくわからないのだけど)、

そうすると、同じことばを検索しても、それぞれのコンピュータがみちびきだしてくる回答が、全くちがってくる。

だから、たとえば、
あるひとがある方向性の答えをもとめてなげかけた質問から、わたしのフィルターを介することで、
ぜんぜん違った方向の応答がみちびきだされてくる、ということがありうる。

そして、私のコンピュータは、私のフィルターにとおらない質問に対しては、
うまく検索がかけられなくなるような気がする。

このフィルター、外してしまわなくてはいけないだろうか?
たしかに、フィルターがなければないほど、いろいろ楽になりそう。
だけど、たぶん私は、自分が今までいきてくのに、そのフィルターを自分で作って来た訳だから、それはそれで、まあ置いておいてもいいかも。

そして、そういうフィルターは、だれのなかにも、千差万別に、たいてい、ある。

としたら、おたがいのフィルターの種類とかその特徴をみていって、
どんなふうに検索をかけるか、探りあっていくといいのかも。
コミュニケーションって、そういう作業かも。
検索をかけたときに、「もしかして:(言っていることはひょっとしてこれのことか?)」っていうやつ、
あれのようなことをいっぱいしなきゃいけない時が、たぶんいっぱいある。

今日も猛暑。でも、今日いちにち、冷房をつかってない。
(もちろん節約のためでもあるけど、私は冷房が苦手。)
会社にやってきた男のひとが「よくがまんできますね」って言ってたけど、
さほど我慢してない。。。冷え取りのおかげかな。
くちなし

2011年6月29日水曜日

6月29日

この間、はなちゃんがベルリンに発つ前にせんべつにくれた、
水晶のかけらがあって、それで昨日つくったピアスを耳にぶらさげていった。
その水晶のかけらは、たぶん、もともとは、小枝のような、ほそいかたちのもので、
それが2つにぽきっとおれたようなもの。
おれたのを、右耳と左耳とにわけた。

視覚的なイメージを言葉にかえて人につたえることの練習。
私   「(前略・中略)えっと、味の無い感じというか、特徴のない感じっていうか。。。むー。」
あるひと「むー」

しばらくして

あるひと「(画像)」
私   「(同時にラフスケッチのスキャンを送る)」

あるひと「これですね」
私   「それですそれです」

言葉足らずだと相手の時間をたくさんうばってしまうから、充分に言葉をつかって、
そして、妥協はせずにつくれるところを目指そう。

帰り際、先輩から
「基礎のパターンメイキングを習いにいってみない?かんがえてみて」と言ってもらった。
大阪の地下鉄に乗って、2駅ごとにのりかえて、6つ目の駅が最寄り駅。
地上の駅のホームで電車を待っている間、風に潮のにおいがしていた。
電車を降りて家へ帰るあいだは、潮のにおいにくちなしのにおいがまざった。


さっきお風呂にはいって、半身浴しながらぼーっと本を読んでいたら、
「あ、私、習いにいくのかな、なんだか、そうかも」
という気がしてきた。
somewhere

6月28日

銀色夏生さんのつれづれノート、とうとう20冊目が出た。
年々この作品が好きになる。

はじめは、
「このひと、どうして、いろいろ興味をもって試してみては、『やっぱり無理だった』、とか、『飽きちゃった』とか言って辞めてくんだろ、
なんで、そうなるってわかってるのに、どんどん新しいことに手を出してくんだろ」って思っていた。
でも、だんだんと、それをしていることの意味が伝わってきて、どんどんおもしろくなってきた。

いつも、先に写真のページを見ずにはおれない。
雑然とした子供部屋とか、寝ぐせのあたま、とか、
ふだん作ってたべている料理がいつもちょっとまずそうに写っているところとかが、妙に好きで、はまっていく。

夫婦げんかとか、親子げんかとか、離婚してからの元夫とのこまったこととか、
なにげないゆううつな気分とか、
そのまま書いてあるけれど、赤裸裸っていうのとも、ちょっとちがう。
もっと、はなれたところからみている。そこが好き。

お昼、韓国のお茶のお店で、かな子さんとランチ。
かな子さん、黒ごま粥。私、かぼちゃ粥。
お店が薄暗くて、でも、とても開放感があった。
よもぎのお茶がおいしかった。
たぶん、かな子さんも私も、初対面でいろいろ人と話すのとか、人前で話すとかいうことが苦手なタイプ同士なので、こういう暗くて広いお店がぴったりな気がした。

かな子さん「妹さんと、似てるけど、でも、ぜんぜんちがいますね」
私    「ふ、そうかも。。」
かな子さん「妹さん、お姉さんのこと、『体が弱いから』って心配してましたよ。でも、
心配してるんだけど、なんか、言い方が、豪快、っていうか。。。」
私    「あ、それ、すごく想像つきます。『お姉ちゃん、ナントカやしな、けけけけ。』
みたいなかんじでしょう」
かな子さん「笑 ええ。笑 そうです」

で、妹からずいぶん前にもらっていたメールに返事をし忘れていることに気がついた。

かな子さん、来年の秋の展覧会に誘ってくださった。うれしい。
うれしいけど、家に帰ってから、ちょっと気になってることがある。
このごろの私、とくに、やりたいことがころころと移り変わっていくので、
来年の秋にどんな展覧会がしたくなっているか、今はわからない。
そして、過去につくったものには自分で興味がなくなっていくので、
かな子さんが気に入ってくださっていた作品とはまったく違うものができてしまうかもしれない。
やりたいことの根っこはかわらないんだけど。
それでもいいだろうか。


そういうことをかな子さんにお伝えしておこうとおもう。
それでも、大丈夫なら、とってもうれしい。
on the way to the station 2

2011年6月28日火曜日

6月27日

やけにさわやかな日。

駅までのいつもの道の途中で、そこそこ大きなサボテンを発見。
大きな黄色い花を咲かせている。
ここに住んで10年たって、はじめて見つけた。

先輩と、今週からの仕事の打ち合わせ。
あたりまえなのだけど、まったくやったことのないプロセスをたくさんたくさんつみかさねた、まったくやったことのない仕事(私にはとてつもないおおしごと)にとりかかっていかなくちゃならないのがわかったので、
しばし、ぞぞっとする。

それに取りかかるまえに別のしごとで練習してみる。
ああ、なんてむつかしいんだろ。
デザイン的な仕事なんていちどもやったことがないので、くらくらする。
先輩と、たくさん言葉をやりとりする。
「形」の話をするだけじゃなくて、
それ以外のところの、いろいろなことに対するとらえかたのニュアンスをたくさん質問して、確認して、
なんだかまるで、カウンセリングを受けているのに近いかも。
頭から湯気を出しながら終えた。
とにかくやっていこう。

夜、先輩と、えり子さんと、ごはんを食べにいった。
人のすくない、料理のおいしいお店で、
しずかに、ぬるい夏の夜をたのしいおしゃべりですごした。
うれしいサプライズもあり。足がばたばたした。

ひとの恋のはなしをきくのって、やっぱり楽しい。おもしろい。
じぶんはからっきしだが、ひとの話をきいて満足してしまう。

私たち、少し前まではあまり知らない者同士だったのに、今夜はこんなに親密に同じ時を過ごしている。
ちかごろ、そういうことが多い。急速に呼び集められているような感じ。
on the way to the station

2011年6月26日日曜日

6月26日

たくさんたくさん眠った。
ベランダの植物の手入れをし、アジアンタムの葉っぱのわさわさと繁ったのを
撫でてほっとした。
5月頃、ちっとも新芽がでてこないのでベランダにだしてみたら、
あれよあれよと新しい葉が密に育って、
すきまのみえないまでになってゆれている。

大風にふかれて茎がおれたり、
留守の間の猛暑にやられてちりちりになったりしては、
夏ごとに丸坊主にさせられてきたアジアンタム。
今年のいまは、たまたま、とても合った環境に居るらしい。
夏越えに気をくばらなくては。

昼、母といろいろな話。
かんがえておかなければならないことがあって、
今年に入ってから母はいろいろと奔走している。

10代のころはそんな母にいろいろと振り回されてうとましく思ったりもしたが、
いまは「ちょっとでも未来をよくしたい」という母の動機を理解したので、
あれこれと変更が加わっても平気。
あれこれと変更を加える母も、そのやりかたが、昔とはちがう。
母のやっていきかたをみていて、学ぶところもある。
なにより、いまは、おたがいが対等だから、とっても自由。

夜、やっと、ブローチがひとつ完成した。
ツイッターでご縁のできたかたに贈るもの。
そのひとの日々のつぶやきから、そのひとにはどんなかんじのものがいいか、いろいろと想像してつくった。

画像をお送りしたら、気に入ってくださったようでうれしい。
おたがい見知らぬもの同士。こんな関係もおもしろいかも。
for Her

2011年6月25日土曜日

6月25日

6日ぶりに、まえの職場へおもむいた。
いりぐちの植物たちがまたも弱っていた。
店のあるじはさぞかし疲労困憊しているのだろう、どんな1週間だったのだろうなどとおもいながら、
すっかり枯れてしまったものを抜き、
水涸れしているものにたっぷりと水をやり、日陰へうつした。
少しおもてに水をまく。

午前中はあまりお客がみえず、うりものの絵本をみたり読んだりした。
絵本がたくさんあって、お客さんに尋ねられると必死でさがさねばならないので。

この本が気にいった。いつからあったのか。こんな本をおいていたことに気がつかなかった。

午後から、はじめて会うスタッフの人がきた。
かんじのいい人で、
このひとが私に直接なにかすごいことをするわけじゃないが、とてもはたらきやすくなった。

「いままで入ってみたいなといつも思っていたけど、なかなかこられなくて」
「気になっていたんだけど、いつも素通りしてしまって。はじめてきました」
というお客さんがおおく、
大人もこどももいっしょにサンプルのおもちゃやゲームで遊んで、
感動したり楽しんだりしまくって、
気に入ったのを買ってくれて、満ち足りて「またこんどきます」と帰っていった。

「わあ かわいいー」とか、「わーー、これはおもしろいね!」とか。
なんて純粋にたのしみをみつけてあじわえるひとたちなんだろう。
きっとまたあのお客さんたちがきてくれるだろうから、
まだお店は続けていかれるにちがいない。

帰り道、いつもとちがうことに気がついた。
頭痛していない。
初めて会ったあのひとが、究極にリラックスさせてくれたからじゃないだろうか。
そのひとも、ここではたらくのは今日だけだと言っていた。

店をしめるために必要だった鍵、かえさなきゃならない。
店のあるじに会わないままつとめていたの、妙だったな。
キーホルダーに2つの仕事場の鍵がぶらさがっているというのも、妙なものだったな。
2, 3, 4   two, three, four

2011年6月24日金曜日

6月24日

きょうは休み。
風呂掃除。ねんいりにかびとりをする。
カーテンやシーツの洗濯。「そよ風」(せんたくせっけんの名前)のかすかなにおい。
うすいカーテンは、脱水したあとそのままレールにつるすとすぐにかわく。
屋上の植物の水やり。
屋上では、母の手によってさまざまなたべられる植物が育っている。
じゃがいも、きゅうり、ミニトマト、なす、いちぢく、ブラックベリー、ブルーベリー、
しそ、みょうが、・・・・
ブラックベリーはまだ熟していなくて、真っ赤ないろ。これが熟すと紫がかった黒いいろの実となる。
味はひじょうに酸っぱいが、わたしは好き。

屋内の植物の水やり。
屋上にちかいところに置かれていたポトスの葉が、つよい日光に焼かれていたのを摘む。
ワイヤープランツも、日差しにまけて枯れかけていたので、茶色くなった部分をとりのぞき、
わたしのベランダへ移動させる。
復活するかどうかはわたしにはわからない。
いったん枯れかけてしまった植物がふたたび息をふきかえすのをみるのが、とても好きだ。
わたしには、治療する技術はないから、なりゆきにまかせるだけなのだけど。

庭の植物の葉がらをつむ。
庭にあったナスタチウムとどくだみ、屋上のアスパラガスの葉っぱを部屋のなかに生ける。
家のなかも夏になった。

じぶんの部屋も夏向きに模様替えなどして、すっきりしてきた。

ミントティーをいれて本をよむ。
図書館に取り置きしてもらった本がとどいていたので、取りに行く。
取り置きしてもらった本以外に、雑誌を2冊かりる。
かえりにスーパーへ寄って、果物やしいたけなど買う。

歩きながら、このあいだ借りた本で読んだことを少しかんがえる。
「マケインが(選挙に)勝った地球」と「オバマが勝った地球」はどちらも存在しているというはなし。
ならば、「原発事故が起こった地球」と「原発事故が起こらなかった地球」がどちらも存在していて、
わたしは、「事故が起こった地球」を選んで、こっちにいるということか。
どうして、こっちを選んだんだろう。
これから、どういう選択を私たちがしていくのかを見たいからだろうか。
たしかに、見たいのだとおもう。

夕飯は、
ほっけの干物を焼いたの、キャベツとパプリカとしそのサラダ(塩もみしてレモン汁、オリーブオイルであえる)、
とうふとアボカドにしそと山椒の実と味噌少々と醤油少々とごま油少々をかけたもの。

夜、借りてきたブータンについての雑誌とべつの本を交互に読む。

個人的に、今年の夏がすきだ。
black berries are red

6月23日

たくさん眠った。
あかるくうつくしい日だと、駅までの道すがらにおもった。

じぶんのきのうしていたしごとが、ぞんざいになっていたのを知る。
わたしは、その種のしごとはわりにきっちりとするほうだったし、
ひとの思いのこもったものを大事にしようとおもうほうだったのに、
それが真逆の意味をあらわすようなかたちで目の前に出て来て、
しかも、それがじぶんのしわざなので、
一瞬呆然として、そしてきもちがくらくなった。

先輩も私も、色々な意味でそのことにとてもショックをうけていて、
おたがいにそれについて語りあった。

そこでそのタイミングで気持ちをわかちあえたというのは、ものすごく重要なことだという気がして、
わたしも意識して自分の気持ちをつたえた。
その場で気持ちをいわないで、よそで言うのは好きじゃないので、
素直に話し合えるのは、ほんとうにありがたい。
こんなふうに、つみかさねていこう。


きのうはめずらしくなんだかへんな日だったし、いったい何だったんだろうと不思議におもっていたけれど、
失敗をつうじていろいろ話しあえるきっかけをもらえたのかも。

きのうときょう、ぜんぜんちがう。

into the tree

6月22日

夏至。

朝、しらないまに電車を乗り過ごして、ひきかえした。
仕事場のトイレの掃除、部屋の掃除。
そしてまた、はじめてのいろいろな仕事をさせてもらった。
はじめてのことはいつでもとても緊張する。
そして、失敗なしにやりとげられることがない。

帰りがけに先輩から「もっとゆるくでいいからね」と声をかけられ、
「そんなに根つめてたように見えてたかな、」と思いながら仕事場を出たら、
体がふらふらになっていて納得した。

夕飯ののち、携帯電話が見当たらない。
きょうにかぎっては、最後にいつ携帯電話をさわったか、おぼえがない。
きょうにかぎっては、帰り道のことの記憶がほとんどない。

こういう日はこういうことが起きるよなあと思い、
そういえば帰りに駅で手を洗った、と、
駅に問い合わせの電話をかけ、みつからない。
センターでおおよその現在地を探索してもらい、
回線を停止してもらったところで、
ピアノの上にみつけた。

センターで回線の再開をしてもらう。
一度死んで生き返った電話。

なにからなにまでがこういう日らしい日だった。
携帯電話について、一瞬、もうなくてもいいかもと思ったけど、やっぱりまだ、無いとこまる。
password

2011年6月21日火曜日

6月21日

きょうから、あたらしい仕事がはじまった。
しっているひとのもとではたらく、というのは、おたがいに気をつかいあうだろうな
と思って向かったのだけれど、
なんとなく、おたがいに、必要以上に気をつかいあうことはないかもしれない
と思って帰った。

たぶん、今日のわたしは、先輩がやれば1時間以内にできそうなことを、3時間くらいかかってやったんじゃないだろうか。
すべてが未経験のことで、すべてをいちからおそわらなければならない。

このご時世に、即戦力に全くならない私を、気長に雇おうとしてくれた先輩、希有なひと。
ありがとうございます。

ルッコラの葉についている、アブラムシの天敵のアブラバチの卵。
卵が養分を必要とするせいか、アブラムシがつくよりも、アブラバチの卵がついているほうが、
ルッコラの葉の傷みがひどい。
結局、いままでとおなじように、アブラムシも、アブラバチの卵も、どちらもゆびで
こそげおとすことにした。

こそげおとしてから、一枚洗って食べた。からくてうまい。

夜、父が母に、植物の水やりのことでもんくを言っていた。
いいかたが感じがわるく、ひとをばかにするような言い回しなので、
あたまにきた母は「そんなこと言うなら自分が水やりをすれば」とおこって言い返していた。
そう言う母のきもちがわからない様子の父はそのあと、台所のものにやつあたりをして、
がしゃんがしゃんと音をたてていた。

人任せにしていることについて、はなから相手が無能であるかのように文句を言うという行為も、
ものにやつあたりをして場の雰囲気をがたがたにする行為も、
私はほんとうにきらいなので、わざとためいきをついた。
こういうこと、何十年も同じ。
しょうもないことかもしれないけれど、
子がそういうことにずっと耐えていること、想像したことあるのかな、親は。

歳をとると、どんどんこころがかたくせまく、相手の立場への想像力がすくなくなって、
ただただひがみっぽくなりゆくひとがいる。
どうしようにもしかたないんだろう、とおもうようにしている。

ひとをばかにする言い回しというのは、クセがつくと自覚もできないし、ほかのやりかたができなくなる。
そういう言い回しを親が子につかうと、子もそういう言い回ししかしらない子になる。

じぶんのことでいうと、私は、親からうけついだ言葉遣いから抜け出すのにとても苦労したので、
将来、こんな物言いをしてほしいとおもうような物言いで子にものを言うように努力している、
まわりのママさんパパさんを、とてもえらいことだなあとおもってみている。
night signal Blue

6月20日

とにかく何度も眠った。

数週前からベランダのルッコラの葉にびっしりついているアブラムシ。
そして、アブラムシ以外にも薄茶いろのまるっこい固いかたまりがところどころにみつかっていたのだけれど、
アブラムシとおなじように、いつもゆびでこそげおとしていたのだった。
きょう気まぐれにインターネットでしらべてみたら、
そのまるっこいかたまりはアブラバチという虫の卵だということがわかったのだった。

卵といっても、卵そのものが産みつけられているのではなく、
アブラバチといういきものは、アブラムシの体に寄生して、
そのアブラムシの体を食べて孵化し、成虫にまでなるのだそうだ。

寄生されたほうのアブラムシのからだはふくらんでひからびて、薄茶いろのまるっこいかたまりになる。
それを、「マミー」とよぶのだそうで、なるほど、よくよくみると、ほんとうにミイラのようである。

このアブラバチという虫が孵るとアブラムシの天敵になるのだという。

きょうまで、アブラムシといっしょに、アブラムシの天敵も退治していたのだということがわかった。
night signal Red

2011年6月20日月曜日

6月19日

昨晩は体のいろいろな関節がいたくて眠れないので、床で寝転がると眠れた。
朝、ベランダのモロヘイヤに花が咲いていた。

仕事をしていてうれしさがぎゅっとこみあげる瞬間は、お客さんを見送るとき。
小さい子と手を振ってわかれるとき。
「あしたもきていいですか」ときいてくる3歳の子にぐっときた。
その瞬間だけ、とてもぐっときた。
明日は定休日。

仕事をしたあと、いっそう体ががたがた。
頸椎から胸椎、腰椎から仙骨まで、上からと下からとぐぐっとおしちぢめられているみたいな感覚。
ぜんぶががちがちにいたいから、他のことがあまりかんがえられなくなるぐあい。

帰りに水色のマニキュアを買った。
つめをできるだけみじかく切って、ぬってみたい。

帰ってから、からだの痛みをできるだけメンテナンスした。

このごろ、いままでにまして、白湯がおいしくてしかたなく、ごくごくのむ。
仕事中ものむと、ほーーっと力が抜ける。
ごはんを食べるまえにのむと、胃がほーっとあったかく、きれいになるきもちがする。
ごはんを食べている最中にのむと、油分のおおい食べものも、胃の中にすうっと融けていくかんじがして、さっぱりする。
大好きすぎるから、飲み過ぎにきをつけよう。
rain drops

2011年6月19日日曜日

6月18日

おととい一緒だった歳上の女性と2人ではたらく。
声が低くてうつくしく、仕事ぶりが、みごとだった。
私がお客だったら、こういうふうな距離感で情報をさしだしてくれる店員さんにものすごく好感をもつにちがいないとおもった。
その声をきくとほんとうに落ち着く気持ちがする、その声をいろんな人にきかせてあげたほうがいいようにおもいます と伝えたら、
「これまで自分の声がとても嫌いだったしほめられたこともいちどもなかった。
きっとこのことをほめられるために私たち今日同じ日にはたらくことになったんだわ」
といって笑っていらした。

私たちが一緒にはたらくことは、多分このさきずっとないだろう。
あいさつして別れた。

遅くに帰宅し、テーブルの上に置いてある新聞の見出しをみて、がっくりした。
がっくりというのは、その事実についてというのはもちろんだけど、そういうことを新聞にかきたててアピールしなければならない人達の心情を想像してのことのほうが大きい。

しばらく、そのことについて自分の気持ちにちょうどいい言葉をさぐっていた。
私は、このことに関して、憤ってはいなくて、でも、「残念だ」と表現する程、はなれている感じでもない。
まだ国として変わる準備はできていないということなのかもしれない、
そして、準備のできていないなかに自分もふくまれているという意味なのかもしれない 
などと思った。
しかし、確実にかわろうとしているひとがぐんと増えたんだとおもう、今年。

たとえば私の住んでいる家はオール電化で、そのことがとてもとてもいやだった。
もちろん罪悪感を感じていたし、すべてかえてしまいたいきもちにかられたりした。
だけど今は、そのことも、まだ縁のきれない自分の一部のようにとらえて、
それをもってしても、望む方向を選んでいくことかもしれないとおもう様になっている。
自分の身のまわりのことを変えるのだってそれなりの時間がかかるのだ。

たとえば、憤らないひとのことを憤るひともいる。
憤らないひとのことを憤るひとのきもちもわかる。
私もこれまで、ひととの関係においていろいろなことをためしてみて、失敗をとてもたくさんしたので。

この季節は、夜に雨の降る音のなかで百合のにおいがするのがきもちがいい。
Lilies in the night

2011年6月17日金曜日

6月17日

昨日がシンクロナイズドスイミング・デュエットだったとするなら、
今日はシンクロナイズドスイミング・ソロ。
つまり、ひとりで仕事をした。(というだけのこと)

職場につくと、昨日手入れした植物たちが、気のせいだが少しよみがえってみえた。
ひとりなのをいいことに、トイレのマットを洗って干した。
花瓶に生けてあったスターチスの茎にかびがはえていたので、表の鉢植えのポトスを少し切って、
勝手に生けた。

そして、たんたんと仕事をした。
クレームの処理も。

クレームの処理とは関係ないけれど、きょういちにち、
「ゆるすこと」とか「ゆるさないこと」についてのいろいろなことがこころをよぎっていた。
いま、いろいろな局面で「ゆるせない」とおもっている人が多くみえるからかもしれない。

髪を染めるのをやめたし、また、髪につかうものをせっけんと酢と椿油にかえたせいもあるのか、どんどんと髪がくろぐろとしてきた。
髪がくろいと、強いいろの洋服が似合うようになるらしい。
夏になるし。
half & half

2011年6月16日木曜日

6月16日

すこしまえに働いていたところで人手がなくなってこまっている ということで、今日から数日間だけ行く。

職場についたとたん、入り口の植物がことごとく傷んでいるのがとても気になって、
掃除の大半を花がら葉がら摘みなどに費やした。
枯れ落ちた葉が腐敗して虫がたかっていたので、腐敗した葉をあつめて捨てた。

はじめて会った、べつのスタッフの人とふたりで仕事をし、
「この仕事、よそからみるとすごくかわいくて癒されて楽そうにみえるだろうけど、ものすごーく大変」
という話。
おもてむき、「すごくかわいくて癒されて楽そう」に見えているというのは、ある意味すばらしい。
すばらしいが、素直に疲れるわたしたち。

先日読んだある本の中に豊かさの定義について書かれていのだけれど

「豊かさ」とは「能力」のことです。
「する必要のあることを、する必要のあるときにできる能力」のことをいっています。

という話。
ひとによって、状況によって、解釈はいろいろあって、
それぞれの解釈でうけとめていくことが許されていそうな感じ。

その他のトピックとして、この頃シャツが好きになった。

a shirt blouse

2011年6月15日水曜日

6月15日

子ども達は早朝に、南のほうの国へ帰って行った。
今日からふたたびしずかな日。

さて、もとどおりの自分ってどんなだったっけか、と思う。
もとどおりにならなくたっていいんだ、と思う。
もとの自分って、どこにもいない。

先日アサミちゃんにおしえてもらったネティ・ポットを昨日からためしている。
ネティ・ポットというのは、鼻うがいの道具。
じょうろを小さくしたような形の容器にぬるま湯をいれ、
生理食塩水をつくり、
鼻からながしこむ。
顔を横にかたむけて、片方の鼻からお湯をいれると、もう片方の鼻からお湯がでてきて、
鼻腔を洗浄できるというしくみ。
昨日はじめてためしたときは、とちゅうで無意識に口を閉じてしまって、のどに塩からいお湯がながれてきたりした。
それから、私は右の鼻が常に詰まりがちらしい、ってこともわかった。
左の鼻からお湯をいれたときに、右の鼻からちょろちょろと伝うようにしかでてこないことがあるので。

これをやったあとは、なんとなく、海からあがったみたいな感じになる。
なんとなく、鼻がつよくなるような気がしてきた。
長いこと、鼻の不調からくるひどい頭痛になやまされていたので、これを続けて治ってくれたらとてもうれしいだろう。
続けてみて、変化をかんじてみよう。

というわけで、今日はリセットの日。
マッサージをしてもらいに行った。
しずかな日って、いい。
in June

6月14日

「ああー、ごはんをかむと、歯がぬけたような気もちになる・・・」と、昼ごはん(うどん)の最中に抜けかけの歯をいじくってばかりのアメ(甥、8歳)。
前歯の2本は昨年生え変わった。
2日ほど前から、その右側の歯が抜けかけていて、ものすごく気にしている。

アメは、痛いことや体に感じる違和感を、とてもとても怖がる。
すこしのかすり傷も、「ぼく、こういうの、ほんとにほんとにいやなんだよ・・・」と、長いこと気にする。
ご飯を食べるときに抜けかけの歯に感じる違和感を、ずっとずっと訴えて、ご飯を食べないので、
きのうだって、麻婆豆腐など、やわらかいものを作って食べさせたのだ。

アメ「ねえ、もし、ぬけた歯を飲んじゃったらどうなるの」
妹 「どうもないよ、下から出るだけだよ」
アメ「・・・・あああー、もう、ほんとにほんとに、いやだよ。抜きたいよ、抜いてほしい。」
妹 「んもう・・・それで去年歯医者で抜いてもらったら、麻酔で大泣きして、ものすごいおおげさなことになったん
          でしょう?ほっておいたら自然に抜けるんだから」
アメ「ええー、・・・・ほら、食べたらうごくんだもん」
妹 「ちょっと自分で、ねじってみたら、そのうちするっと抜けるよ」
アメ「それ、きのうやったら、痛かったもん・・・」
大人全員、がっくり。

「歯を抜いて」の訴えがとまらないので、皆イライラしてきて、もうほんとうに、抜いてしまおうということになった。

ミシン糸をアメの歯に結び、「ドアでバッタン」の方式を使おうとした妹だったが、
「ここのドアって、ソフトに閉まるようにできてるから無理だわ・・・」
結局、手動で引っ張るということに。
さて、引っ張ろうという段になって
アメ「ね、ね、ひょっとして、抜いたら、血が出るの?」
私 「出るよ・・・」
アメ「そして、血を、かんじる?」
私 「うん、血の味がするよ。って、昨日も言ったじゃん!」
このやりとりに、うんざりしてきた私。

妹 「横向けに引っ張ればいいのかな」
私 「なぜに横。下がいいんじゃない?」

あっさり抜けた。

私たち、気分がすっきりして、残りのうどんを食べた。
アメは、右手に用意していたティッシュを歯につめて(それもまた「ティッシュは1枚か。2枚いるか」ということを訊いてくるのだった)、30分くらい無言でティッシュを噛みしめていた。

その間、ツキ(姪、5歳)はゆうゆうとアイスを食べ、計算が狂って悔しがるアメ。

その後はころっといつものアメにもどり、私の部屋で「ぼく、ベッドでごろごろするのが好き!冷たいベッドがいいけどね、ぼくの場合は」とほくほく、ごろごろするアメ。
「記念に撮って!New me ! 」

かれらは明日の朝、マレーシアへ帰国する。
カラフルな2週間だった。
私は最後の2日はものすごく眠くてしょうがなかった。
" New Me! "

2011年6月13日月曜日

6月13日

妹、アメ(甥、8歳)、ツキ(姪、5歳)、マレーシア帰国まであと2日。
ほんとうは、今日から新学期。
アメとツキ、なかよしのお友達におみやげを買いたいという。
お友達1人につき105円という約束を妹とかわし、
アメは315円
ツキは420円(3人と言っていたのにあとから1人増えた)
をもって、買い物へ。
(こういうとき、「ツキ、ずるい!」と言いたいのをいつもこらえている、アメ。)

アメ「ぼくね、お店かんがえてる。スーパーのはいったところの左側のお店に、なにかあるとおもう」

今までいちども入ったことのなかった、そのお店へ。
アメは値段がわかるようになっているので、品物選びはまかせる。
ツキは、目に入ったものみんな欲しがる。
私 「これはねえ、高くって買えないわ、それも。それも。。」
ツキ「じゃあ、どれシタラ買えるのヨー!」
キャラクターものの商品はどれも値段がはる。こういうところで、100円のものを見つけるのはとてもたいへん。

5歳の女の子の使えそうなもので見つかったのは、柄でいっぱいに埋め尽くされたえんぴつ(1本60円)。
そして、柄で埋め尽くされた、えんぴつキャップ(5個入り100円)。
私 「ツキ、あのね、もしも、このえんぴつだったら、ツキのぶんも買って、こっちのえんぴつキャップを1個ずつわけたら、お金がちょうどになるよ」と、見せて説明。
ツキ、喜んで、それぞれのおともだちに合わせた柄のえんぴつを一生懸命えらぶ。

いっぽう、アメ。
6個入り157円のポケモンの柄のポケットティッシュをカゴに入れて歩いている。
6個のティッシュを1人2個ずつにわけるそう。
アメ「315ひく157は?」
私 「158」
アメ「158わる126は?」
私 「2にもならないねえ」
アメ、悩んでる。アメ的にここで頭打ちかとみて、一緒にさがす。
ポケモン柄のえんぴつキャップをみつけ(5個入り157円)、それをまた、3人の友達に1個ずつ分けるということになった。
私 「(キャップが)2個あまるから、それはアメが使ったら?」
アメ、「その手があったか」とでも言いたげな笑み。

会計。ツキはもらったお金をすべて、ちょうど使った。
アメ、1円あまり。
アメ「1円!1円のこった!1円のもの買おうよ。。。ないよね、知ってる」

帰りがけ、2歳くらいの女の子を怒鳴りながら、ジュースの空き箱で叩いているお母さんがあって、しばし無言でみつめるアメとツキ。
とくにアメ、おもいきりじろじろ、口をあけて見てる。
その後、うつむいて私についてきて手をつなぐツキ。

帰ってから、それぞれのプレゼントを色紙で包装するという、一大ワークショップ。

今日、アメの手相に私たち全員の手相と全然似ていない部分がある、というのに気づいた私たち。
手相の本をひっぱりだしてきて調べた。
アメ「テソウって、なんでわかるの」
妹 「いろんなひとの手相をしらべて、その人がどんな人だったか記録して、記録をあつめてるんだよ」
アメ「へー、そういうこと!ね、ね、ぼくのはなに?」
私 「ほー。『creator, artist』だって。」
アメ「わー!やっぱり?やったー!!」
アメは6歳くらいのときから「おとなになったら creator になるんだ」と言っていたので。

妹 「『星のカービィ』ばっかり描いててもなれるのかしら」
私 「まあ、好きなことどんどんやっていったらいいんじゃないかね・・・」
アメ「ぼく、やってるじゃん!」
妹&私「それはそのとおり。。。。」


その後、アメの性格の詳細についてなど、熱心にその本を読みふけっていた妹。
「あの手相の本読んで、よかったわ。(アメの性格のある部分のことで)今までイライラして、どうにか治して欲しくてたまらなかったけど、ある程度生まれ持ってきてるものかもしれないって思ったら、ちょっと受け入れる余地が出てきたかも。。。」

私、夕方に機嫌が悪くなる位に頭がいたくなってきたので、夕飯後に頭痛薬を飲んで少し眠り、そして復活して日記を書いた。
To Ben, To Damian, To Owen

6月12日

たとえば、「はなちゃん(仮名)」のこと。
彼女について、わたしのほんとうに大好きなところが、はっきりとひとつある。
それは、はなちゃんがいつでも完全に「今」の瞬間にいて、それをたのしんでいるところ。
どんな話題でも、そこにたまたまころがってくる会話にどっぷりつかって、
おどろいたりおもしろがったりするポイントを拾い上げてくるところ。
そして、夢中になることにどんどんと我が身を投じていくところ。

彼女だって、先行きを不安におもうことがあるかもしれない。
人知れず、復活できそうにないほど落ち込むようなことがあるのかもしれない。
そういうときだって、つよがらずうそをつかず、
そういう自分そのまんまでひとのまえにいるんじゃないだろうか、彼女は。
そういうところが好き。
私には彼女がそうみえる、ということなのだけれど。

このところそのことがたびたび心にうかんできていたので、かきとめておきたかった。

午後、尚美ちゃんの2人展の最終日へまたもすべりこみ。
電車を乗り継いで乗り継いで行くあの場所へ、
きょうはたのしい道連れもあって笑いのたえない一日。

尚美ちゃんの器、わたしも少し持っている。
すこしみどりがかったような白いいろの、やや細めの湯のみ。
山の端の線描がぐるりにあしらってある。
この器はシリーズもので、いろいろなパターンで複数つくられているものだけど、
ひとつひとつ、微妙にかたちもいろの出かたもちがうので、
ひとつひとつを矯めつ眇めつ手に取ってながめて、とてもとても時間をかけて選んだ。
おなじようだけど、「ここが特別気に入ったポイント」というのがある。
there are always 3girls

2011年6月11日土曜日

6月11日

一昨日に無印良品で買っておいた布のバッグ(1つ50円)と
布に描けるクレヨンをあけて、
午後にアメ(甥、8歳)とツキ(姪、5歳)とあそんだ。

アメは
「星のカービィ」
とでかでかと書いた下に、カービィの絵を描いている、表も裏も。
アメはとにかく「星のカービィ」というものが大好き。
公園に行っても、「星のカービィ」という文字を木の枝を使って地面に書くだけで、
笑いがこみあげるほどに嬉しい気持ちになれる様子。

ツキは描きながら
「これはあかちゃんのちょうちょ。おかあさんのちょうちょはおうちでねてるの。
これ ちょうちょのおうち。 これ あかちゃんのちょうちょのおともだち うさぎさん。 
これ とりさん。こっちとりさんのおうち。nurseryあるの。」

私は、絵の具をつけてしまったcosmic wonderの洋服に、みどりや白やピンクやオレンジをちょこちょこと塗った。
塗ったクレヨンを、アイロンの熱で定着させた。
また着るつもり。

ツキからの手紙。

「しほちやんへ
    ImhmP   =「これ・・・わかだない(わからない の意)」
    URy fn      = “ You are my friend ”
    ILu         = “ I love you ”
    ちなちゃんにメールします。
    ずっと ともだちでいてね」

ツキを呼んで、意味を耳打ちしてもらった。
最後の2行は、なかよしのおともだちに手紙を書くために、妹にお手本を書いてもらっていたのを、
私への手紙にも応用を試みたもののよう。
her bag

6月10日

夜、蕎麦屋に女性ばかり7人であつまった。
全員それぞれが「なんとなくの知り合い」だったり、初対面だったり。
初めて出会うひとどうしの会話のスリリングさ。

「これは一体何の会なのか」といいながら、
おいしい食べ物をたべ、飲み物を飲んだ。

ぱりぱりのもろきゅう。
味のしみたおから。
かりかりに揚がったそらまめと生姜のかき揚げ。
ホタルイカの内臓と紫蘇であえたじゃがいも。
こりこりとした歯ざわりの蕎麦。
とろりと琥珀色のそばつゆ。

タイに住んでいたひと、
オランダに住んでいるひと、
パリに住んでいるひと、
大阪に住んでいるひと。
タイに住んでいた人はタイのにおいがするし、
オランダに住んでいるひとは、オランダのにおいがするし、
パリに住んでいるひとは、やはりパリのにおいがする、
ような気がした。
本人が好むと好まざるとにかかわらず。
(私はそのうちのどこにも行ったことがないのに)

もうしばらくすれば、ばらばらな国へ散らばって行くひとたち。
なぜ今夜、私たちはあつまってこういうおもしろい夜を過ごしたのか、
そのわけがなんとなくわかるような気がするときが、いつかくるのだろう。

写真は、とても気になる場所。ちょっと行ってみたい。
Lanzarote

2011年6月10日金曜日

6月9日

もやーっとした日。
ツキ(姪、5歳)も、はっきりとした理由無くぐずっている。
私のこころは、今日に限らず、もやーっとしているのである、じつに。
そんなこのごろ、本を読んだりしていると、ときどき、胸の内がぎゅーっとねじれるような感じになることがある。
痛いわけでも、くるしいわけでもなく。
強いて言うならば「ああ、今なにかみつかりそうなんだけど、ああ、消えたかも」という感じ。

でも、そんな状態もわるくはなく、そんなときはそんなふうにすごしている。

姪と甥と妹が出かけた午後。朝から諸々の用事を済ませ、
久々に母と私ふたりだけの午後。
母「なんかちょっと(子どもたちとの暮らしに)つかれてきたわ・・・」
私「うん、そうでしょう。今、ちょっと休憩しようよ」
しばし一緒にお茶を飲み、母はちいさいクリームパンをつまむけれど、
休んだか休まないかのうちに、母は次の用事にとりかかっている。
動いている方がらくなタイプなのかも、そういえば、とぼんやり思いながら

家を出て

森田さんの展覧会の最終日にすべりこみ。
はじめておとずれたギャラリーは、しつらえがかわいいお店のようで、いろいろあそべそうなスペース。
今回の展覧会は、森田さんの作品が一堂に会したという雰囲気。盛りだくさん。
すき間(ニッチ)に住んでいるニッチャン、たくさんのニッチャン。
ニッチャンはひとりなのか、たくさんなのか。
不規則な時間、多次元の空間のなかで、
永遠にひとりであしたのしたくをしているのだろか。

窓のむこうがわに池内さんを発見し、
数時間も3人で話をした。
黒く長い虫たちを愛でる池内さんのお家に、いつかきっと一緒にいこうと森田さんと約束をして。
ああ、その虫を、腕に這わせたい、私も。

もやーっとしてはいても、ちらりちらりと、楽しくひかる。

ツキの頭、今日は卵(虱)を1個発見。
that day

2011年6月8日水曜日

6月8日

朝8時半、庭からツキ(姪、5歳)の泣き叫ぶ声が。
ツキ「イタイ〜!
   イタカッタ〜!
   イタイヨ〜〜〜!!
   I want daddy!!!
   I want daddy!!! 
   Daddy!!!!(彼女の父親は今はインドネシアで仕事中)
   シホちゃん〜!!(私のこと) 
   オイデ〜〜〜!!(来てくれの意)」

ツキの額が縦に3センチくらい、ぱかっと裂けていた。
つまづいてコンクリートの壁の角に頭をうちつけたらしい。

近所の総合病院の外科がいいのではという私、
以前にアメ(甥、8歳)がかかったことのある小児科がいいという妹。
縫うような傷は小児科でみてもらえるのかしら、どうかしらと思った私だったが、
断言もできないので、母親である妹の意見にゆだねた。

私は運転ができないので、タクシーを呼び、小児科の予約をとる。
妹と私と交代で、なきわめくツキの額を止血。
妹「あ〜 国際免許、取ってくれば良かった・・・・」

ふたり、出かける。
私は母の職場に電話をして、保険証を探し出した。
妹からsms。「やっぱり小児科では無理だった。総合病院の外科に今からタクシーでむかいます」
この地域のことが全然わからない妹のために、小児科の受付のひとが総合病院の予約をとってくれたり、地図をコピーして渡してくれたりしたそう。

私、保険証を持って自転車で総合病院へ。晴れていてたすかった。
アメが留守番をできるようになってるなんて、なんだかすごく年月がたったような感じがする。
これからは、かれらが来たらすぐに保険証を出して渡しておかねば と思う。

すぐに家に戻って、血でよごれたツキの白いレースのスカートなどを洗濯していると、
もう昼前。
冷蔵庫にあるものをしらべて、タマネギとにんじんと茄子とトマトと烏賊とツナでパスタをつくる。

妹、ツキを連れて戻り、「はぁぁぁぁ〜」といつもの倍くらいのため息。
数針縫ったとのこと。
妹に、リンゴジュースをサイダーで割る。
普段こういうものは私はのまないけれど、なんとなくこういう時はこういうものが飲みたくなる気がした。
私も飲み、おいしかった。

ツキとの会話。
私 「ツキ、きょうはいっぱい泣いたねえ」
ツキ「うん シホちゃん ないたの?」
私 「どんなときに?」
ツキ「イタイとき シホちゃん ないたの?」
私 「泣かないよ。マミーも泣かないでしょ。」
ツキ「マミー ないたよ」
私 「なんで泣いたの?」
ツキ「マミーねえ ダディにおこってねえ ないたの。そしてねえ ダディがねえ おこったの。
   そしてねえ アメちゃんが なんか言ったよ」
私 「アメはなんて言ったの?」
ツキ「I can't study! 言ったよ」
私 「ふーむ、そうかー」

騒動のために朝はツキの頭の虱チェックができていなかった。
おちついてから調べたら、卵を2個発見・・・・

午後、私は自分の通院へ。夕方、妹は友人と会う約束があったので出かけた。
夕飯どき、もうひとりの妹がきて、今夜はアメとツキは彼女と一緒に眠っている。
今日は私たち、姉妹3人でたすかった。

ツキはもう、けろっとしている。
日本に来てから、毎日どこかを怪我している彼女。その度に大泣きし、すぐに忘れる。
orange and gold

2011年6月7日火曜日

6月7日

アメ(甥)、8歳。日本で暮らしていれば3年生になっているはずの彼だが、マレーシアでは、まだ2年生になったばかり。
前回の滞在時は日本の小学校に2週間だけ編入させてもらったが、
今年は「行かない」。

午後、天気もよくないので「ハウルの動く城」を観る。
アメもツキ(姪、5歳)も、じゅうぶんに会話がききとれないようで、
興味がそがれがちだが、内容も内容なのでしかたのないこと。
途中でツキとアメが言い合い。
ツキ「かっこいい〜 ハウル・・・」
アメ「え〜っ?かっこよくないよ〜全然!」
ツキ「え〜 かっこいい〜!!」
アメ「かっこよくないって!!」
兄妹、微妙な喧嘩。

子どもたちとの暮らし・・・・
どこで自分の時間をつくったらいいのかいつも悩み、毎年解決できずじまいだったので、
今年こそはチャレンジするぞと思いつつ、まだリズムがつかめていない・・・
お互いの今年の変化は、私の部屋に入りたい時にはノックをしてもらえるようになったこと。

子どもたち、朝5時すぎに起きて、元気いっぱい。
夜9時にはなんのかんのといやがりながら一瞬で寝てしまう。

子どもの眠る以前に限界のきている私。
いろいろとスポーティーな習い事をしている妹も同じくらいクタクタであるのをみると、それで普通なんだろう。
「寝静まった後で・・・」のエネルギーを残しておきたいのだけれど。

子育てをしながら作品を作りつづけるわが友人たち、ほんとうにほんとうに、
ほんとうに、すごい。

jerry & sandwich

2011年6月6日月曜日

6月6日

おべんとうを作り、水筒に麦茶をいれ、ヨガマットとピクニックシートを持って
妹と甥と姪とで2キロ少し先の河口まで歩いた。

アメ(甥、8歳)「日本なのに、暑い!」
私    「日本も暑いときがあるんだよ。もうすぐ夏が来るしね」
アメ「いつくるの?明日?」

お弁当を食べる間、川べりを通る強い風におびえるアメとツキ。
風が強く吹くのは嵐の来る前兆だと思っているらしい。
たしかに、この大きな川の河口では急に視界がひらけて、たくさんの水がうねって動いているので、
妙に不安定な感じが、するといえばする。

ツキ(姪、5歳)「こわいねえ」
アメ「すずしすぎる!なんか、ここ、こわいよー」
と、暗くおべんとうをたべている。

おべんとうを食べ終わり、さんさんと照る太陽の下でマットの上に寝転びはじめると、アメとツキもすっかりくつろいでいる。
川岸までいって蟹をさがしたり。
妹と私はもう、ぐったりと眠い。

アメ、川から逃げて走りながら「津波が来るぞぉ〜 逃げろー! ツキは遅いから死んじゃったよ」と言う。
そのことで妹にたしなめられている。

アメ「あそびで言っただけだもん」
妹 「あそびでも、だめ。津波で亡くなった人がたくさんいるんだよ」
アメも妹も小声。

帰ったらツキは昼寝。アメはまだまだ元気に家の中で遊ぶ。
「蚊にいっぱい咬まれちゃったよー、痒いよー、うう どんどん痒くなって来たーー」と、さされまくった足を見せてくる。
気休めに虫除けスプレーを足と腕にかけてやる。
スプレーのにおいに顔をしかめるアメ。
私 「鼻から吸い込んだり、口に入ったりしないようにね」
アメ「なんで?」
私 「どくだから」
アメ「えっ!」
私 「だって、虫がよってこないようにするようなものだもん、人間にもあんまり良くないんじゃないかな」
アメ「ぼく、死ぬの?」
私 「死なないよ」
アメ「ほっ。」

夕方、ツキの髪をなにげなくかきあげた妹が、虱の卵を発見して半狂乱。
マレーシアから連れて来たらしい。保育所で流行っているそう。
私、妹、母でそれこそしらみつぶしにツキのアタマ中をさがす。
成虫も2匹発見。卵が30個あまりも・・・。
虱の卵ってもっと丸くてプチっとしたものかと想像していたけど、ちがった。
もっと棒状の小さい固まりで、髪にしっかりくっついている。爪でしごかないと取れない。
細い巻き毛のツキの髪の毛は、虱に好まれるらしい。
「明日またチェックタイムしなければ」
「見てるだけで痒い気がしてきた・・・」

夜、青山さんに撮影してもらっていた個展の記録写真のデータをいただいた。
整然と、そのときの空気そのまんまがそこに保存されていた。
写真は、それらの写真のうちのひとつ。

わたしはちょっと枯れた声という程度まで回復。
青山さんは咳をたくさんしていた。
sewing gallery 5/1 2011

2011年6月5日日曜日

6月5日

妹がふたり。
仮に国名の頭文字をとって、
マレーシアから来て滞在中の妹を「M」
日本にいる妹を「J」
と呼ぶことにする。

昨晩。私の部屋のモンステラ(観葉植物)を巡る会話。

M「お姉ちゃんのこのモンステラ、去年けっこう刈ってちっちゃくなってたよね?
今年もうこんなに大きくなったの?何か特別な肥料やってる?」

私「ううん。肥料もほとんどやってないし、この部屋そんなに明るくもないのに、
     このモンステラだけすごく元気なんよね」

J  「お姉ちゃん、モンステラに生気吸い取られてるんちゃう?」

M「(Jを無視)そうなんやー うちのモンステラ、カイガラムシはつくし、
     あんまり元気ないんだなー」

J  「Mちゃん、モンステラの生気吸い取ってるんちゃう?」

M「・・・・・・・・・・」
私「・・・・・・・・・・」

ひとは、じぶんのみたいようにみるものです とはこのことかと思う。
3 sisters -soil- -water- -fire-

2011年6月4日土曜日

6月4日

鼻うがいの道具のことをナツトくんとあさみちゃんご夫婦にたずねたら
neti pot(アーユルヴェーダなどで用いられる鼻うがいの道具)というものを教えてくれた。
たずねてから、neti potのことをしっていたことに気がついた。

このところずっと西洋医学的な耳鼻咽喉科治療にかかっていたので、
すっかりアーユルヴェーダ的な引き出しがしまってしまっていたようだ・・・
そんな自分の脳にもびっくりした。
そしてneti potをさっさと注文。

昨日から飲んでいる薬は7種類もあるだけあって、けっこうきつい。
声は少し出る様になってきた。
いろいろ行きたい・みたい催し物があったけれども断念。

午後、マレーシアから滞在中の妹と甥(アメ・8歳)、姪(ツキ・5歳)、そして日本にいるもうひとりの妹がやってきて、またにぎやかしさがもどってきた。

ツキの言葉。
「ねえ これ どうやってシるの?」
「ねえ はやくそと でロウよ」
外国人が日本語をおぼえるときに何がむつかしいかっていうところがわかるかんじ。

去年は、子どもの波動(波動というのかなんというのか、醸し出す雰囲気)が自分には合わなくてしんどいって思っていたけれど、
今年は、子どもは大人の鏡だなとおもうことが多い。

ツキはもうひとりの妹から昨日アイロンビーズのセットを貰ったらしく、
「ねえ これ どうやってシるの?」と10回くらいたずねながら、
見本どおりに馬をつくった。
「horse したの」
私もしたい。
her horse

2011年6月3日金曜日

6月3日

昨日は新月だった。
朝、背中にへんに汗をかいていた。
天気がよく暑くなるというので、シーツや毛布などをぜんぶ洗濯した。

インターホンがなったので取ると、焼き肉屋の営業マン。
そんな人がきたのははじめて。
いま てがはなせないので と言ってことわった。
脱水のおわったシーツをベランダで干していたら、その焼き肉屋の営業マンとおもわれる
若い男性が、向かいの家のガレージの前にしゃがみこんで何か話しているのが見えた。
地べたにおいた黒いカバンから、チラシかなにかを取り出しながら。
奥さんは立ったまま話をきいてあげている。
しゃがみこんでる営業マンが奥さんを見上げながら話している構図が、なにかへん。
ことわってよかった。

ブログをはじめてから、
自分のこころがたった一日のうちにもうろうろと細かに動いていることが分かってきた。

天気の移り変わりのように、急にあかるい日差しがさしこんできたかとおもうと、
すぐに雲がでてきて陰ったり。
ちょっとあたまが痛いとか、ただそれだけのことで、気持ちがにゅうっと形をかえたりする。
ふうん、そうなんだ、とおもいながらみている。

夕方、腕がいいといわれているらしい耳鼻咽喉科へ行った。
総合病院に行った時とおなじくらいの費用がかかったけど、今日はとても納得。

設備は総合病院のものとほとんど同じだった。
なにがちがったかというと、
主訴と経過をきちんと把握してくれていること、
主訴をきいて必要とおもわれる検査をスピーディーかつ手落ち無くおこなってくれること、
検査結果をきちんと見せて確認させてくれ、病状を説明してくれていること、
治療方針も患者に確認させてくれていること。

かんがえてみると、これって診療の基本なんだろうと思うのだけど、
わりに、お医者さんって自分だけわかって患者に何も伝えない人があんがい多い気がする。
診療にかかった時間は同じ位だった。
同じだけの時間をそういうふうにつかえるというのが、このお医者さんのあたまの良さ、考えの良さなのかもしれないと思った。

お薬が7種類。
お薬代は安いのだけど、これはかなり多い。
ふむ、なるほど。

このごろタロットカードをあつめている。
1年くらいまえからさわりはじめたけど、あつめはじめたのは最近になってから。

昨日と今日、おなじようなことをいわれてる。
transformation
change
power

ふむ、なるほど。

時間がかかるから、ブログの長さをもうちょっとみじかくしたい。
だけど、どこが今日のポイントなのか、まだまだうまくしぼりこめないので長くなる。
たまには極端にみじかいのも書こう、ポイントをはずしててもいいし。
118 bars

2011年6月2日木曜日

6月2日

朝起きて、洗濯機を回して、とまらない咳をしていたら、いそいそとツキ(姪)が階段を上がってくる。
「シホちゃん(私のこと)、起きてたの?しらなかった。咳、なおったの?なおらないの?なんでかなー」

朝ご飯を食べていたら、ツキが私の部屋からアイロンビーズのキットを持ちだしてくる。
「ツキ、あのね、そのアイロンビーズは、誰の?私のでしょ?だからね、もしもこれで遊びたかったら、私に、『これで遊びたい』って言うんだよ。そしたら、かしてあげるからね。わかった?」
ツキ、きまりわるそうな苦笑いをうかべ、声もなく、口を「あ」の字に開けてきいている。
「こんどから、言える?」
ツキ、口を「あ」の形にしたままうなずく。

妹は、もうひとりの妹の家に移動する為の準備を急いでいる。
ツキ「マミー、ねえ、ドコいくの?もう、かえるの?」
妹 「ナオちゃん(もうひとりの妹)の家にいくんだよ」
ツキ「いかない、シホちゃんといる、シホちゃんほしい」
ツキは5歳だけど、日本語での表現はこんなかんじ。
また、「ナオちゃんち」に行くことはわかっていて楽しみにしていたのに、妹に行き先を何度も尋ねているあたり、
心配ごとが多そうにみえる。

しばらくして、兄妹げんか。
原因は、祖母が昨夜アメ(甥、8歳)に与えた古いゲームボーイ。
拗ねたツキ、お気に入りのブランケットをひっさげて寝室へ引っ込み、バタッと布団に倒れ込んだ。
私が様子をみているかどうかをチェックしてから
「ばかシホちゃん!」と叫んでる。
この展開、アメの5歳くらいのときと同じだ、使う言葉も・・・
なので、5分くらい放っておいた。
ツキの様子をみにいくと、目に涙をうかべてふるふると体をこわばらせている。
「アメにゲームとられて、くやしかったの?そう。ナオちゃん家に行ったら、また楽しいこといっぱいあるんじゃないかな」
ちょっとだけ抱っこしてやり、「マミーに髪の毛結んでもらったら?」というと、
むすっとしたまま立ち上がって、のそりのそりと歩いて行く。

アメはその後ツキにゲームボーイをさせてやっていたけれど、
すぐに「ちがうよツキ こうするんだよ」とか言って後ろから操作を手伝おうとするので、
またツキが癇癪を。
アメには悪気はないんだけど、ついつい自分の欲との境目がなくなってしまうようだ。
そういうことってやってしまいがちかも、私たちも、大人になっても、ぜんぜん違うシチュエーションで・・・・。

ツキは駅で別れ際に涙を浮かべながらも、さっくりと妹の手にひかれていったあたり、
きっと今頃はもうひとりの妹の家で楽しみまくっているのにちがいない。

私は彼らが去って、ふたたび静かな時をすごした。
咳をたくさんしたり、息がちゃんとできなかったり、すごく頭が痛いというのはやっぱり快適な状態とは遠く、
いつもよりも疲れやすい。
元気いっぱいにばりばり活動できるなあっていうようにはならない。
よさそうな病院をしらべたので、明日行ってみようと思う。
その一方で、声が出ないといつもよりももっと静かに過ごせるので、
こういう時期が必要だっていうことでもあるのかも?などとも思う。
さわがしい雰囲気を発しているひとやものに対してちょっと敏感になっている感じもする。
体調についてフォーカスすると気持ちがしんどくなるけれど、
あんまりそこにフォーカスしていないから、とくにネガティブにもならず、
ものすごくポジティブにもなるわけでもなく、そのあいだでこまかく揺れつつ、
全体的にはちょうどまんなかっぽい感じ。。

green, green, green.

2011年6月1日水曜日

6月1日

マレーシアで暮らす妹と甥と姪の滞在がはじまった。
甥8歳、姪5歳。それぞれのミドルネームが"rain"と"moon"なので、
ここではかれらのことを「アメ」「ツキ」とよぶことにする。

アメとの会話。
「crystalは、生きてるか、生きてないか、どっちだと思う?」
「うーん、生きて、ない。」
「そう。生きてないだけど(←ところどころこういう日本語になる)、大きくなるよ」
「ああ、そうだよね!アメ、それは学校でならったの?」
「ううん、internetでしらべたの」
「へえー、アメはじぶんのパソコンをもってるの?」
「うん、でも、ぼくのcomputerは、おそいの。チチの、父の、computerは、はやいの。」

「父」という言い回しについて指摘するかどうか一瞬迷ったけど、とりあえずそのままにした。
雨のなか、傘をさしてスーパーマーケットへ行く。

アメ、「もし、雨が、毒だったら、ちょっとも濡れたらダメだし、いろんなコトあるね。
ひとつは、海に入れない!」
と言って、傘から体がはみでないようなパフォーマンスをたのしんでいる。

「アメの言ってることは正しいよ、それはほんとうのことになったよ」
っていう言葉を今言うかどうか考えているうちに、
タイミングをのがした。
まあ、みずから濡れない様にしているわけだし、と思った。
そのあとで、やっぱり、ちゃんと伝えるべきかも、と思ったけどタイミングを逃した。

私の声が出ないせいか、2人ともときどき囁き声になったりしていて静かな午後。
お片づけも促せばできるようになってきたし、静かに一人で遊べる時間もできてきた。
2人ともすこしずつ成長してきてるんだ、とおもう。
アメとツキは、ふたりだけで会話するときは英語を話してる。
とても早口で、すこしマレーシア訛りもあって、私はほとんどききとれない。

ツキとはアイロンビーズで遊ぶ。ツキはハート型のプレートを選んでいた。
私は、いろいろな緑のビーズばっかりを使って丸いのを作った。
ツキのつくったハートにストラップようの金具をつけて、ツキのキャリーバッグにつけてあげた。
ツキのキャリーバッグには、マレーシアから持ってきたお気に入りのブランケットが入ってた。
アメ「ツキのblanketはねー、くっさいの。ツキは、洗うのがいやだから」
私 「それはあなたたちのマミーの子どものときといっしょだわ」
キヒヒヒ、と笑うアメ。
アメの背中をぶつツキ。

さんざん遊んだ後の夕方に「あああ つまんないー つまんないー 何かしようよー」と言い出すアメをみて、ああ、そういうところは変わってないな、とおもう。

明日はもうひとりの妹のところへ泊まりにいくのを楽しみにしている2人。
わたしはやっぱり疲れたので、泊まりにいってくれるとちょうどいいかもと思う。
私のベッドでごろごろしながら「あしたもニホンにいるのかなあ」とかわいらしい声でいうツキ。

She says "I like pink and yellow and sky blue."