2011年9月28日水曜日

9月25日

おとといおえっとなってから、胃がきりきりしている。
朝ご飯は、りんごはんぶん。

きょうは大事な日。
願いどおりに空が曇ってくれたので、ありがたいことだとおもいながら外に出たけど、
やっぱり駅につくまでに、猛烈にじんましんがでてきてしまう。
あああ と心がくらくなったが、
ちょうど電車に乗っている時間が1時間だったので、京都に着く頃はもう、
顔もからだも怪獣のようではなくなっていた。
たすかった。

竹井戸さんと会う、約5か月ぶりに。
高嶺さんの展覧会を、それぞれ北側と南側でみる。

竹井戸さん「わかった〜?」
わたし  「うんうん。笑 竹井戸さん、あっちがわにいたとき、何の曲かかってた?」
竹井戸さん「もう、わたしがあっちいたとき、めちゃめちゃおもしろかってん。おじいさんが。
      おじいさんがやってはって。曲は、チェッカーズやった」
わたし  「わたし、あっちがわにいたとき、髪の長い、若い女のひとだった。
      それで、CCBの、『ロマンティックがとまらない』。」

ふたりでしばらく笑ってから、お茶をのみにいった。
シナモンミルクティーを飲みながら、この5か月のことを話した。
わたし  「あ、それでね、わたしまた日記、書いてるんだ」
竹井戸さん「前のんは?」
わたし  「前のは、もう、無いの。で、あたらしいのをまた始めてるの。」
竹井戸さん「そうなんやー。一旦やめたけど、でもまた、書きはじめたってことは、
      やっぱり、書きたいっていうきもちがあるんやね。」
わたし  「うーん、なんかね、もう、どんな日があってもいいやって思うようになってね、
      どんな日があってもいいし、どんなこと書いたっていいから、それをずっとやってたら、
      どうなるかなって思って。
      って今、話して、自分がそう思ってたって事、おもいだした。」

おもいだして、このところのつらさをじぶんで許せるような気持ちがした。

竹井戸さんは、子どもとかかわる仕事をしていて、とても充実している様子。
わたし  「ね、竹井戸さんは、やっぱり、ひとをそだてる人やんねえ。
      竹井戸さんの思ってないところで、竹井戸さんに育てられたひとがいっぱい居ると思う」
竹井戸さん「やーーー そうかなーーー」


竹井戸さんに、5か月ごしにやっと、絵を渡せた。
わたしがもういちど、ものを作っていこうと思ってから最初に描いた絵が、竹井戸さんのところへ行った。

夜、帰ってきて、おなかがすいたのに気づいて、そういえば朝にりんごはんぶんしか食べていないことを思い出した。
家を出る前につくっておいたおかずをたべた。
おいしかった。

9月24日

ベランダの植物のいろいろが夏を越せずにしんだので、
それらを抜き、こころのなかで弔った。
アジアンタムとモンステラだけは元気。
わたし自身が「このふたつだけは、生き残って」って思っていたからだ、きっと。
ベランダに、空の鉢が並んだ。

ベランダに居たらじんましんが出てきたので、雨戸を半分以上降ろして部屋にとじこもった。
それで何ができるというわけでもなく、したいことが何もみつからなくて、
じいっと哀しいきもちにひたっているうちに、眠ってしまっていた。

たぶんだれでも、ちょっとした慢性のやまいをもっていると、
これがいつまで続くんだろうという思いでやりきれなくなる瞬間っていうのが何度もくる。
おさまってきたら、このまま治るかなと期待するし、
悪化してきたら、ああやっぱりじぶんはだめなんだと思ってしまう、
その繰り返し。

ひとなみに動けないということや、大多数のひとと同じようには暮らせないということを、
ふだんは受け入れられているんだけれど、ときどき、気がおかしくなるときがある。

こういうとき、ラインを超えるぎりぎり手前でわたし自身がだれかにたすけをもとめることをおもいつく、
ということと、
たすけになってくれるだれかがほんとうにどこかにいてくれる、っていうことが、
ものすごい命綱になっているなあと、毎度毎度、思っている、
あとになって のことなんだけど。

9月23日

お昼に豚足(父の好物)がお皿にのっていた。
ひとくち、あのジェル状の皮をくちにいれたらおえっとなり、
しばらく咀嚼はしてみたのだが、
ささっと席をたってはきだした。

夕方に鶏の唐揚げがお皿にのっていた。
それをひとつ、よくよく噛んで飲み込んだ。
ふたつめもよくよく噛もうとしてみたが、
すでにじゅうぶんおえっとなっていたので、
また ささっと席をたってはきだした。

それだけのことがこころのなかでいろいろふくらんで、ちょっとかなしくなったのだった。

柳田に「いまごろになって少女時代にはまってしまった なんかつらくなったときとかに最高。」とメールした。

9月22日

"To feel confident and successful is not natural for the artist.
To feel insufficient, to experience disappointment and defeat in waiting for inspiration is the natural state of mind for an artist.
As a result, praise to most artists is a little embarrassing. 
They cannot take credit for inspiration, for we can see perfectly, but we cannot do perfectly.

Many artists live socially without disturbance to mind, but others must live the inner experience of mind, 
a solitary way of living."


まあ、かなりちょうしがわるかった。


9月21日

夜、じんましんが大発生したのでくるしんだ。
全身にでてしまうと、なぜか息もくるしくなる。
柳田おすすめの韓国アイドルにすっかりはまってしまっていたので、
その動画をくりかえしくりかえし見てやりすごした。
じんましんがおさまるまで、1時間あまり、動画をみていた。
韓国アイドルたちよ、そして、夜よ、ありがとう。
あとはベッドに入ればいいだけだもの。

2011年9月27日火曜日

9月20日

どこかのローカル線の(叡山電鉄に似た)駅のホームにたどりついて、
改札を通って、
ホームへ降りる階段があるはずなのに、階段がなくて、
そこから地面がなくなっている。
そう、夢のはなし。

それで、地面が無くなる境界のところに折りたたみ式のはしごがくっついてて、
髪の長い白いワンピース姿の女の人が、はしごにぶらさがってゆらゆらと降りていく。
わたしは高所がこわいので、たちすくみつつ、なんとか身軽な彼女の真似をしてはしごにぶらさがって、
地面らしきところに降りたかな、という瞬間に、
その女のひとに顔面を押さえつけられ、いやなかんじに響く低い声でわけのわからない呪文を唱えられて、
それなのに、「わかった、よしよし」とか言って女のひとをなだめてあげようとしたりなんかして、
そんな、「よしよし」なんて言ったりするそういうところが自分のこすいところだ、
と、心のどこかでおもいながら、
眼を覚ました。

かなしばりにあった瞬間はこういうものを見がち。

9月19日

世の中は連休で、両親も仕事が休み。
きのうの夕飯についてぼんやりかんがえていた。
わたしが居ないならお寿司ですませるし って言ってたな、母は。
父が居ない日も、「お寿司買ってくる?」って言うんだな、母は。
お寿司「で」いい、っていうけど、
それって、お寿司が好きだということだろうか。
まあ、たぶん、好きなんだろうな。

わたしもきのう、お寿司でも買って、公園で食べておけばよかったかもしれない。
いや、あんまりよくない。

9月18日

でがけに母が「晩ご飯、食べて帰ってきてくれるんだったら、もう私たちはお寿司でも買ってくるんだけど」
というので
「じゃあ、食べてくるよ。」と言いおいて出た。

わたし 「郵便(配達)焼けですか。」
木内さん「そうなんですよー。バイクやしね、上からの日光に当たるところが、全部。
これでも、日焼け止め塗ってるんですけどね」
わたし 「親指だけ白いのは、なんでですか」
木内さん「これはねえ、指サック、するからなんですよ」

いきなり何を訊ねに来たひとか。

人柄はいつでも人当たりがよくてやさしいアニキといった雰囲気なのだけど、
作品は自虐ギャグ的な(って言っちゃっていいのだろうか)木内さん。
いまだに作品について真っ正面からつっこんだ質問のできないわたしであった。

作品のアルバムをみせていただいて、近況などおしゃべり。
たくさんおしゃべりした。

その後わたしはひとりでマクドでごはん。
食べたら魔法にでもかかったかのように異常に眠くなってきて(化学調味料のせいだろうか)、
お店から動けないぐらいになってきた。
居眠りをすこしして、それからどうにかして眼をこじあけて、てくてくと帰った。

2011年9月20日火曜日

9月17日

昼間、社長ととある展示会をみにいった。
世の中には、いろいろな世界がある。
無数の、でも有限の、ひとびとの、少しずつ似て、しかし、非なる、世界。
ぐるぐるとあるきまわったのち、
飲み物を飲みながら(わたしはホットドッグもたべながら)
この世界をどう活用するかについて、社長とかんがえた。

ゆうがた、三宅砂織ちゃんの個展をみにいく。
彼女とも、18歳のころから一緒。
外側からみえる彼女のすがたは、ずっと、かわらない。
その内側で、いつでも自分自身をこえていこうとしているところ(多分。)に、共感をおぼえるし、
いつまでもあこがれ、応援したいと思ってしまう。

きょうの彼女も、いつもとかわらない、ユーモアがあって、かわいらしく、かしこい、魅力的なひとだった。

彼女の作品のなかのゆらいでいる空気に、ゆらゆらとした感じをあじわっていたら、
扇子をぱたぱたさせたねこさんが到着した。
わたし 「暑いんや?」
ねこさん「暑ないん?」

作品を鑑賞し終わったねこさんは、扇子をぱたぱたしながら
「喉、かわいた、おなか、減った」という。
「ごはん、たべにいこうか」ということになった。

うどん屋にて。
ねこさんは、やまかけうどんに天ぷらとおにぎりがついているものを、
わたしは、天ぷらのついている釜揚げうどんを食べた。

ねこさん「ちょっと痩せた、僕?」
わたし 「僕?ねこさん?ああ、ちょっと痩せたとおもう。ダイエットしてるの?」
ねこさん「いや、暑くなったぐらいから、魚がおいしいとこみつけたから、晩ご飯に魚食べてたら、痩せた気がしてき
     た」
わたし 「魚って痩せるんだ」
ねこさん「魚が、というよりは、肉にくらべて調理法が太りにくいんとちゃうかな」
わたし 「あ、そうだね、魚を炒めたり、あんまりしないもんね。あ、でも、宇野千代さんは、あなごの天ぷらが好物
     だったんだよ」
ねこさん「ああ、あれは、旨い。」
わたし 「そうなんだ。わたし、食べた事ない。」
ねこさん「丼に載ったりしてるやろ。」
わたし 「へー、それ、すごそう。宇野千代さんは、100歳ちかくまで生きて、90代でもあなごの天ぷら食べてた
     らしいよ。。。あ、で、ねこさんは、痩せたよ。」
ねこさん「ピー子は、痩せ過ぎやで。」
わたし 「。。。。そんなに、痩せてないよ。」

ねこさん「きのうは今年最初のさんま、食べた。」
わたし 「いいなー。さんま、食べたいな。このごろ魚、たべてない。じぶんで料理するときも魚、つかってない。。
     さいごに魚たべたのがいつだったか、思い出せない。」
ねこさん「後半の方聞こえへんかった。『じぶんで』から後。」
わたし 「『じぶんで料理する時も、魚の料理してない。』」

3べんほど、「今の、後ろはんぶん聞こえへんかった。」といわれた。
てんぷらでおなかがいっぱいになり、とても眠くなりながら、帰った。

9月16日

おおまかにいうと、
ほんらい自分がもっているはずのものと、おもてにあらわしている自分とのギャップをどう扱うか、
というような話題が昼間にあがっていたのだった。

夜、「あ〜 いまのあたしって 毒抜かれた蛇なんかいな あ〜」
などと(ツイッターのなかで)つぶやいていたら、
夜更けにみのりちゃんからチャットで声がかかった。

みのりちゃん「だいじょうぶでご蛇るか?」
わたし   「セイシンイジョウなのであるよ。笑」
みのりちゃん「そうでご蛇るか。」

わたしはみのりちゃんとチャットをしながらホットミルクをのんでいたのだけど、
ひゅっとみのりちゃんが
「そうかーそれは、あれが必要かもね
 とりあえずさっと身をかわして台所に走り、ミルクをわかして君にわたす
 『ミルクだよ、心が和むよ』
 というやつ」

なーんて言ってくれるので、泣けてきた。

それで、そのセリフのでてくる漫画を読もうとおもったのだが、
柳田にすすめられた韓国アイドル(柳田「観た方がいいわよ、脚がキレイよ」)の動画をみはじめるうちにやめられなくなり、
周囲にいるちょっと疲れているおともだちとともに、妙に気持ちがもちあげられていってしまった。

多数の若い女の子たちが集団で歌い踊っているものをみる、ということでもたらされる、不思議な効果。

深夜、読むつもりにしていたその漫画をお風呂で読んだ。
歌い踊る女の子達の効果によってややたかぶっていた気持ちで読んだせいで、
よそ見しながら話をきいている人のようになってしまった。

だけど、みのりちゃんがそれを話題にしてくれた、そのことが、わたしのこころの究極のピンポイントを指してくれたので、
もう充分な気がした。


9月15日

一年後のその日が、まためぐってきた。宮殿の衛士たちは、詩人が草稿をたずさえていないことに気づいた。王は彼を見て少なからず驚いた。さながら別人のごとくであった。時以外の何ものかが、彼の顔面に皺を刻み、まったく変貌させていたのだ。両眼は、遠方を見ているか、あるいは盲目となったかのようだ。詩人は、王に二、三言上したいことがあると願いでた。奴隷たちは退けられた。

 「頌歌はできあがらなかったのか」と王は訊ねた。
 「いいえ、たしかにできました」と悲し気に詩人は答えた。「いっそ、主キリストがそれを禁じたまえばよかったも
  のを。」
 「くり返すことができるか。」
 「よう致しませぬ。」
 「そちに欠けている勇気を予が与えよう」と王は言った。
 詩人はその詩を誦した。たった一行であった。
 声高く口にのぼせる勇気もないまま、詩人と王とは、あたかも秘密の祈りか冒瀆の言葉であるかのように、ひそかにそれを味わった。王も、詩人に劣らず驚異にうたれ、畏怖していた。ふたりはひどく青ざめて、互いの顔を見交した。

 「若い頃」と王は言う。「予は落日に向って航海した。ある島で、銀色の猟犬が、金色の猪を殺すのを見た。ある島では、火の壁を見た。中でも最も遠い島では、何か弧をえがいて中天にかかり、その水に魚や舟が泳いでいた。こうしたものはなるほど驚異ではあるが、そちの詩には比ぶべくもない。この詩句は、いわば、あれらすべてのものを包含している。いかなる妖術がこれをそちに与えたのか。」

「夜の引きあけに」と詩人は語った。「最初自分にも分らぬ言葉を口にしながら目ざめました。それらの言葉は一篇の詩でございました。私は罪を犯したかのように感じました。恐らく、聖霊の許したまわぬ罪を。」

 「その罪を、今こそ予もそちと分かち合おう」と王は囁いた。「美を知ってしまったという罪、それは人間には禁断の恵みなのじゃ。今われらはその罪を贖わねばならぬ。予はすでに鏡と黄金の仮面を汝に与えた。さて、ここに、第三にして、最後をかざる贈り物がある。」

 王は、詩人の右手に一振りの短剣をおいた。
 
 詩人は、宮殿を退出するや、すぐさまみずからの命を絶ったと伝えられる。王は王で、一介の乞食となり、かつて彼の王国だったアイルランドを、道から道へとさまよい、二度とふたたび、あの詩篇をくり返すことはなかった、ということが知られるのみである。

(ホルヘ・ルイス・ボルヘス 著 「砂の本」より 「鏡と仮面」 1975年)

9月14日

きはきられるだろう
くさはかられるだろう
むしはおわれ
けものはほふられ
うみはうめたてられ
まちはあてどなくひろがり
こどもらはてなずけられるだろう

そらはけがされるだろう
つちはけずられるだろう
やまはくずれ
かわはかくされ
みちはからみあい
ひはいよいよもえさかり
とりははねをむしられるだろう

そしてなおひとはいきるだろう
かたりつづけることばにまどわされ
いろあざやかなまぼろしにめをくらまされ
たがいにくちまねをしながら
あいをささやくだろう
はだかのからだで
はだかのこころをかくしながら

(谷川俊太郎 「よげん」 1996年)

9月13日

人里離れた湖の岸辺でアトムは夕日を見ている
百三歳になったが顔は生まれたときのままだ
鴉の群れがねぐらへ帰って行く

もう何度自分に問いかけたことだろう
ぼくには魂ってものがあるんだろうか
人並み以上の知性があるとしても
寅さんにだって負けないくらいの情があるとしても

いつだったかピーターパンに会ったとき言われた
きみおちんちんないんだって?
それって魂みたいなもの?
と問い返したらピーターは大笑いしたっけ

どこからかあの懐かしい主題歌が響いてくる
夕日ってきれいだなあとアトムは思う
だが気持ちはそれ以上どこへも行かない

ちょっとしたプログラムのバグなんだ多分
そう考えてアトムは両足のロケットを噴射して
夕日のかなたへと飛び立っていく

(谷川俊太郎 「百三歳になったアトム」 2003年)

2011年9月19日月曜日

9月12日

 最後に、王子さまの正体について、これを単純に「大人になる前の無邪気な子供」のように考えるのはどうかと思う理由の一つをあげておきます。

 出会う大人をことごとくダメだと見る王子さまにとって、話の通じる相手は地球で出会った狐や蛇だけで、とくに狐は、反大人としての立場を明確に説明してくれる哲学教師のような存在です。王子さまが一緒に遊ぼうといったときに、狐は、「君とは遊べない、自分はまだ飼いならされていないから(Je ne suis pas apprivoise.)」といいます。狐はapprivoiser(英語ではtame)という動詞を受け身で使い、「自分はapprivoiserされていない」というのです。ここは「仲良しになる」と曖昧に訳しておきましたが、apprivoiserとは、もともと人が動物を「飼いならす」ことです。餌をやるなど、必要な世話をして飼う。その結果人間に馴れて従順になった動物が家畜やペットです。飼いならされた相手は人間を恐がらなくなる。人間もその相手、たとえばペットを可愛いと思って愛玩する。狐は王子さまに「飼いならしてほしい」といいますが、これは、「自分を飼いならして愛人のような関係を結んでほしい」ということです。

 王子さまが自分の星で面倒をみていたという花も、実は同じような存在なのです。しかし、この花の愛人はなかなかわがままで要求が多いので、王子さまはついに嫌気がさして、彼女を捨て、彼女から逃れてほかの星を巡歴する旅に出た、ということです。王子さまを無邪気な天使のような子供だと思って読んでいると、あれあれ、これは男(もちろん大人)がよくやることではないかと気がついて、にやりとしそうになります。それにしても、相手を「飼いならして」わがものにし、ペットのように、バラの花のように、大事にして愛玩する--------これこそ理想の男女関係だというのは、たしかに現実の世界では通用しないことで、こんなことを大まじめに考えるのが、自分のなかにいる子供、反大人の自分なのです。本物の子供には、他人を「飼いならす」というようなことは理解もできないでしょう。

 そんなわけで、この小説は、子供が書いたものでもなく、子供のためのものでもなく、四十歳を過ぎた男が書いた、大人のための小説です。これを読んで大量の涙が出てくるというのはちょっと変わった読み方で、それよりも、この小説は、大人が自分のなかにいる子供の正体を診断するのに役立ちそうです。この作品が広くかつ長く読まれて来た秘密の一つはそこにあるのではないかと思います。

(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ 著 倉橋由美子 訳 「星の王子さま」より
「訳者あとがき」 2005年6月)
still M & me

9月11日

このところ持病のコリン性じんましんというのがちょっと悪化していて外出が憂鬱であったのだけれど、勇気をだして、芦田尚美ちゃんの個展へむかった。
そろり、そろりとあるく。

京都に着いた頃には夕方ちかく、光がオレンジ色になってきた頃だった。
とびらを開けて入ると、あきらとみどりちゃんと伊集院くんがそこにいた。

みんなで「この色がいいねー」「これ、新しいねえ」など言いあいながら、
うつくしい可愛い器をみる。

それから4人でぶらぶらあるく。
うしろを歩いている伊集院くんとみどりちゃんが、へんなうた(「むにむに・むにむに・むにむにして〜る〜」という歌詞)を歌っている。
わたしとあきらが振り返ると、やめる。
前をむいて歩き出すと、またうたいはじめる。
わたし  「『むにむに』って、なんだろう」
あきら  「さあ。。。。」
あきらはもうすぐ人前でいろいろなことをしなくてはならないイベントがあるので、気持ちがおちつかないみたい。
痩せている。とても。

わたし  「伊集院くんは今日はなにするの」
伊集院くん「図面、かくん」
わたし  「なにの?」
伊集院くん「11月に、個展だから、東京で。」
わたし  「ええっ いそがしいじゃない!こないだ横浜いったとこなのに。」
伊集院くん「うん〜」
むにむに・むにむに・とかうたいながら、やってしまうのか。

スーザン・チャンチオロ展にむかうつもりのわたしに、みんなが行き方をアドヴァイスしてくれた。
伊集院くんが
「あっ、そうや、こないだそこに、傘わすれてきてん。もしよかったら取って来てもらわれへんかな。」という。
「『伊集院貴明ですけど、ソニアリキエルの傘をあずかっていただいてたと思うんですけど』って言って。」

スーザン・チャンチオロさんの作品をうれしく鑑賞し、伊集院くんの傘をいわれたとおりにもらってきた。
受付のお姉さんは、ソニア・リキエルのロゴを確かめられるように、わざわざ傘をひらいて見せてくれた。

傘をもって、あきらの家まであるいた。
すっかり日は暮れていて、わたしの安心して動ける時間になっていた。

あきらの家に着くと伊集院くんは疲れきって眠っており、
あきらが、イベントのためのちまきをつくっているところだった。
みどりちゃんが、リビングでちまきの皮をしばる紐を切っていた。
わたしは、あきらにちまきの包み方を教わった。

水に漬けてある竹の皮をふきんで拭いて、斜めはんぶんに折り、中身をいれるポケットを作ったかたちにしておいたものをいくつか作っておく。
あきらが、そこへちまきをつめて、はかりで100gをすこしこえるくらいになっていることをたしかめる。
みどりちゃんは、ちまきをつめ、はかり、つつみ、ひもでしばる。
わたしは、あきらがつめたちまきをつつみ、ひもでしばる。空いた時間にまた竹の皮を拭いて折っておく。
20個ぶんくらいのちまきを包むと、中身がなくなった。
「これで半分。またもち米を炊くわ」とあきら。

あきらはそのイベントでたべものをサーブしながら茶碗をたたいたりしてライヴをしなくてはならなくなった といって、そわそわ、そわそわしている。
「なんか、首に、ぶつぶつができて」と言っている。

みどりちゃんが、花柄の茶碗に水をはって、ペンタトニック+不協音がひとつ の音階をつくる。
そして、あきらに、どうしたら綺麗な音を響かせられるか、どんなふうに箸を持ち、どんなふうに手首をつかい、どんなふうに叩くか、おしえてあげている。
あきらはすぐにじょうずになった。でも、なんとなく、様子が悲壮である。

伊集院くんが起きてきた。
はなちゃんから電話がかかってきて、やってくることになった。
ベルリン帰りのはなちゃん。別れた時は、まだ寒かった。
みどりちゃん「すごいね、ここで急にみんな勢揃いしちゃうなんて。」

はなちゃんがやってきた。「ひさしぶりなのに、まったくそう感じない。」と言って笑っている。
「家を片づけていたら、でてきた」といって、わたしたちそれぞれに、いろいろなものをくれた。

みどりちゃんには、みどりちゃんにそっくりな、うすみどりいろの陶器の人形。
「うわっ、これ、『みどりちゃん』やん!!」と気味悪がるみどりちゃん。
(みどりちゃんのほんとうのなまえは「みどりちゃん」ではないのだけれど)
「この人形のこと、みどりちゃんやとおもってずっと大事にしててん」というはなちゃん。

あきらには、焦げ茶色の、リアルすぎる、うさぎのかたちのろうそく。
「こわ〜い!」といってよろこぶあきら。

伊集院くんには、むかしはなちゃんが撮った、伊集院くんの写真。
モデルさんのスタイリングのために、伊集院くん自身がモデルになってテストしたもの。
12、3年前の伊集院くん。みんな、綺麗だ 綺麗だ やばい。といって感動した。
わたし  「でも、今の顔のほうがいいな。このころ、話しかけづらかったもん。。。」
伊集院くん「ああ、それ、言われるなあ」
あきら  「そうだね」
ひとしきり、その当時の話題でもりあがる。

わたしがもらったのも、11年前にはなちゃんが撮った写真だった。
とくに、はなちゃんの作品にはならなかった写真があったのがうれしくて、涙がでそうになった。
撮影の思い出を話して、みんなで大笑い。

伊集院くんとあきらとみどりちゃんは、毎週欠かさずみているドラマを録画しておいたのをかぶりつきで観始めた。
しごと帰りにやってきたあかねと、はなちゃんと3人で、最近のいろいろと、これからのいろいろを話す。
そうして、夜が更けていった。

10年くらいまえの、あれや、これや。
そんなことが、なぜかたくさん話題にでる夜だった。
当時のことで、ひとに話したことのなかったことを話したりもして、なにかつっかえがとれたような気持ちになったりもした。

はなちゃんはまたもうすぐ、外国へいってしまう。
M & me in the afternoon

2011年9月18日日曜日

9月10日

 水は冷たいけれど不快ではなく、妙に私をわくわくさせている。砂が足の指のあいだに入り込んで、水が私の骨張った足先を撫でてきて、それからくるぶしをぴしゃっと打って、ふくらはぎをのぼってくる。私の膝に吸いつき、太ももを這い上がってくる。よじのぼってくる虫みたいにくすぐったくて、それから突然、パンツに届くとそれは氷だ。冷たさがお腹に広がってきて、私の水着は何かがこぼれたみたいな色になって、それからバシャッ、ザバッ、と来たと思うと水は引いていって、波は戻っていく。肌は冷たい点々がくっついたみたいだ。私はじっと同じ場所に立っているが、水は来たり帰ったりしている。水着に水がしみ込むのがわかる。水のきらきらした表面を、手のひらで撫でてみる。両手が冷たく、つるつるして、私はさらに先へ進む。
 と、いきなり水は胸の高さになって、私はうしろによろける。ほとんど転んだみたいな感じに、体が回り、転がり、私はふたたび空を見上げていて、それから口と鼻に水が入って私はくるくる沈んでいく。それから目をぱちくりさせごほごほ咳き込み、泡を吹き、また立っている。水の表面が見えて-------泡立ってクリームのようだ--------それから足が底を全然感じられなくなって--------体が宙吊りになっている-------それからまた転がり、濡れたもののなかに、その口と手のなかに私は閉じ込められる。それは私をくるみ込み、転がし、私は転がりながらそれのなかに入っていく。その口のなかで、海草の切れはしや葉っぱや紐みたいなものやゆらゆら揺れるものが見え、それから何かに持ち上げられて-------私はハッと空気を呑む------それからまた降りて、息もせずに、目の前が暗くなっていく--------
 自分が別の何かに、何ものにもつながっていない何かになった気がする。私は海草、葉っぱ、紐みたいなもの、肌のないもの、水。
 何かが私をさらに下へ吸い寄せる。片手と胸が沈んでいる。水は暗い。私は蹴り、ばたつき、わめこうとあがき、息をしようとあがく-------沈んでいく。
 目の前に自分の髪の毛の先っぽが見える。髪の端が海草みたいに揺れている。両手が押そうと、つかもうとあがいて--------
 誰がたすけてくれたのかはわからない。誰に連れ戻されたのかはわからない。

(レベッカ・ブラウン 著 「自分の領分」 2004年)

9月9日

 それが、夫と交わした最後の夫婦らしい親しい会話でございました。
 雨がやんで、夫は逃げるようにそそくさと出かけ、それから三日後に、あの諏訪湖心中の記事が新聞に小さく出ました。
 それから、諏訪の宿から出した夫の手紙も私は、受け取りました。
 「自分がこの女の人と死ぬのは、恋のためではない。自分は、ジャーナリストである。ジャーナリストは、人に革命やら破壊やらをそそのかして置きながら、いつも自分はするりとそこから逃げて汗などを拭いている。実に奇怪な生き物である。現代の悪魔である。自分はその自己嫌悪に堪えかねて、みずから、革命家の十字架にのぼる決心をしたのである。ジャーナリストの醜聞。それはかつて例の無かった事ではあるまいか。自分の死が、現代の悪魔を少しでも赤面させ反省させることに役立ったら、うれしい」
 などと、本当につまらない馬鹿げた事が、その手紙に書かれていました。男の人って、死ぬ際まで、こんなにもったい振って意義だの何だのにこだわり、見栄を張って嘘をついていなければならないのかしら。
 夫のお友達の方から伺ったところに依ると、その女のひとは、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八歳の女記者で、私が青森に疎開していたあいだに、この家へ泊まりにきたりしていたそうで、妊娠とか何とか、まあ、たったそれくらいの事で、革命だの何だのと大騒ぎして、そうして、死ぬなんて、私は夫をつくづく、だめな人だと思いました。
 革命は、ひとが楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。地獄の思いの恋などは、ご当人の苦しさも格別でしょうが、だいいち、はためいわくです。
 気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら、何のむずかしい問題もないはずです。自分の妻に対する気持一つ変える事が出来ず、革命の十字架もすさまじいと、三人の子供を連れて、夫の死骸を引取りに諏訪へ行く汽車の中で、悲しみとか怒りとかいう思いよりも、呆れかえった馬鹿馬鹿しさに身悶えしました。

(太宰治 著 「おさん」 昭和22年)

9月8日

 あの時から、私は、あなたと、おわかれしようと思いました。この上、怺えて居る事が出来ませんでした。あなたは、きっと、間違って居ります。わざわいが、起ってくれたらいい、と思います。けれども、やっぱり、悪い事は起こりませんでした。あなたは但馬さんの、昔の御恩をさえ忘れた様子で、但馬のばかが、また来やがった、などとお友達におっしゃって、但馬さんも、それを、いつのまにか、ご存じになったようで、ご自分から、但馬のばかが、また来ましたよ、なんて言って笑いながら、のこのこ勝手口から、おあがりになります。もう、あなた達の事は、私には、さっぱり判りません。人間の誇りが、いったい、どこへ行ったのでしょう。おわかれ致します。あなた達みんな、ぐるになって、私をからかって居られるような気さえ致します。先日あなたは、新浪漫派の時局的意義とやらについて、ラジオ放送をなさいました。私が茶の間で夕刊を読んでいたら、不意にあなたのお名前が放送せられ、つづいて、あなたのお声が。私には、他人の声のような気が致しました。なんという不潔に濁った声でしょう。いやな、お人だと思いました。はっきり、あなたという男を、遠くから批判できました。あなたは、ただのお人です。これからも、ずんずん、うまく、出世をなさるでしょう。くだらない。「私の、こんにち在るは」という言葉を聞いて、私は、スイッチを切りました。いったい、何になったお積りなのでしょう。恥じて下さい。「こんにち在るは」なんて恐ろしい、無智な言葉は、二度と、ふたたび、おっしゃらないで下さい。ああ、あなたは早く躓いたら、いいのだ。私は、あの夜、早く休みました。電気を消して、ひとりで仰向に寝ていると、背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。

(太宰治 著 「きりぎりす」 昭和15年)

9月7日

 それから私たちは、その粉薬の副作用について、一握の風説をきいた。この粉は、人間の小脳の組織とか、毛細血管とかに作用して、太陽をまぶしがったり、人ごみを厭ったりする性癖を起させるということである。その果てに、この薬の常用者は、しだいに昼間の外出を厭いはじめる。まぶしい太陽が地上にいなくなる時刻になって初めて人間らしい心をとり戻し、そして二階の仮部屋を出る。(こんな薬の常用者は、えて二階の仮部屋などに住んでいるものだと私たちは聞いた)それから彼等が仮部屋を出てからの行先について、私たちは悪徳に満ちたことがらを聞いた。こんな薬の中毒人種は、何でも、手を出せば掴み当てれるような空気を掴もうとはしないで、どこか遠いはるかな空気を掴もうと願望したり、身のまわりに在るところの生きて動いている世界をば彼等の身勝手な意味づけから恐れたり、煙たがったり、はては軽蔑したり、ついに、映画館の幕の上や図書館の机の上の世界の方が住み心地が宜しいと考えはじめるということだ。薬品のせいとはいえ、これは何という悪い副作用であろう。この噂をはじめて耳にしたとき、私たちは、つくづくと溜息を一つ吐いて、そして呟いたことであった。この粉薬は、どう考えても、悪魔の発明した品にちがいない。人の世に生れて人の世を軽蔑したり煙たがるとは、何という冒瀆、何という僭上の沙汰であろう。彼等常用者どもがいつまでも悪魔の発明品をよさないならば、いまに地球のまんなかから大きい鞭が生えて、彼等の心臓を引っぱたくにちがいない。何はともあれ、私たちは、せめてこのものがたりの女主人公ひとりだけでも、この粉薬の溺愛から救いださなければならない。
 けれどそのような願いにもかかわらず、私たちはその後彼女に逢うこともなくて過ぎた。すると彼女は、このごろ、よほど大きい目的でもある様子で、せっせと図書館通いを始めてしまったのである。

(尾崎翠 著 「こおろぎ嬢」 昭和7年7月)

2011年9月10日土曜日

9月6日

 テディが去った後もニコルソンは、数分間は身動きもせず、両手を椅子の肘掛けにのせ、左手の指には火をつけぬ煙草をまだ挟んだままで座っていた。が、そのうちに右手を持ち上げると、ワイシャツの襟が開いているのをたしかめるように、襟もとをまさぐった。それから煙草に火をつけ、ふたたび身動きもしないで坐っていた。

 彼はその煙草をもとまで吸い終ると、やにわに片足をデッキ・チェアの横へ踏み出して煙草を踏みつけ、立ち上がって急ぎ足に通路から出て行った。

 彼は船首寄りの階段をかなりの早足で降りて遊歩甲板へ出た。それからそのまま足を止めずに、同じような早足で、一気に主甲板へ下り、続いてAデッキ、Bデッキ、Cデッキ、Dデッキと下りて行った。

 Dデッキでその階段は終っていた。ニコルソンは方向の見当がつかぬ様子でしばらく立っていたが、そのうちにそれを教えてくれそうな人間が見つかった。廊下の途中に調理室の戸口があって、その外に椅子を置いて一人のスチュワデスが煙草を吸いながら雑誌を読んでいたのである。ニコルソンはそこへ行って知りたいことだけを手短かに尋ね、礼を言うと、さらに数歩船首の方へ歩いて行って、「プール入口」と書いた金属製の重い扉を開けた。するとそこは、狭い、むき出しの階段になっていた。

 ニコルソンがその階段を中ほどまで下りるか下りないうちである、つんざくような悲鳴が長く尾を曵いて聞えた--------幼い女の子の声に違いない。それは四方をタイルで張った壁に反響するような、遠くまで鋭く響き渡る悲鳴であった。



(J.D.サリンジャー 著 野崎孝 訳 「テディ」)
two galaxies

2011年9月7日水曜日

9月5日




 でもそれと同時に、喫煙が何年ものあいだ彼らの救いになっていたとも思う。

 結婚して何年も経たないうちに(何年の何月に二人が結婚したのか、正確にはついにわからずじまいだった。二人は一度も、少なくとも私や姉や兄の記憶する限り、結婚記念日を祝うどころか、それを口にしたことすらなかった)、父と母両方にとって、一緒に暮らすのはひどく不幸なことになってしまった。煙草を喫うことで、二人とも一息つけて、みじめな生活からつかのま逃れられたのだ。煙草が喫える、と思うとそれが楽しみになった。二人ともそれぞれ別々に、私たち子供から、騒々しさから、うんざりするいろんなことから逃れて、静かに一服できたのだ。あるいは二人とも、それぞれ別々に、母が海軍の売店で買っておいたカートンがなくなったときに食料雑貨店まで車を走らせて、帰り道は精一杯ゆっくり帰ってこれた。喫煙とは、かつては二人で一緒に味わった楽しみだったけれど、いまではそれぞれ一人で味わうようになった楽しみだった。煙草を喫っていれば、父は自分だけのために何かをしていられたし、自分は強くてタフなんだ、戦争の英雄なんだと想像することができた。煙草を喫っていれば、母も自分だけのために何かをしていられたし、自分が何ものにも動じない人間なんだ、映画に出てくる女みたいに平然としたクールな女なんだと想像することができた。二人はそれぞれ、違う人生を想像することができた。自分のどうしようもなくひどい人生が、どうしようもなくひどくはないんだとそれぞれ想像することができた。

 私はそのことをありがたく思う。つらい年月を両親が生き抜く上で何か助けがあったことをありがたく思う。二人とも煙草をやめるくらい長生きしたこと、そして最後は、ごく短い時期であれ、息絶えるまで幸せに生きたことを私はありがたく思う。


(レベッカ・ブラウン 著 柴田元幸 訳 「煙草を喫う人たち」 2004年)

9月4日

 ちょうどこの時地下室の扉がキューンと開いて、それは非常に軽く、爽やかに響く音であった。これは土田九作氏の心もまた爽やかなしるしであった。なぜならばここはもう地下室アントンの領分である。土田九作は、踏幅のひろい階段を、一つ一つ、ゆっくりと踏んで降りた。数は十一段であった。人間とは、自ら非常に哀れな時と、空白なまで心の爽やかな時に階段の数を知っている。

土田九作はもう一つあった椅子に掛けて、
 「今晩は。僕は、途中、風に吹かれて来ました。あなたですか、小野町子が失恋をしているのは」

幸田氏は答えた。(松木氏は、椅子の背に自身の背を凭せかけて、恋愛会話に加わらなかった。代りに煙草を吸いはじめていた。けむりは氏の顔から二尺ばかりをまっすぐに立ちのぼり、それから幸田当八氏の背中の上に流れた。地下室の温度は涼しい)

幸田氏は、
 「すばらしい晩です。どうでした外の風に吹かれた気持ちは。そうです、多分、小野町子が失恋をしているのは僕です」

「僕は外の風に吹かれて、とても愉快です。いま、僕は、ほとんど女の子のことを忘れているくらいです。心臓が背のびしています。久しぶりに菱形になったようだ。幸田氏、それでどうなんです、僕たち三人の形は」

「トライアングルですな。三人のうち、どの二人も組になっていないトライアングル。土田九作、君は今夜住いに帰って、ふたたび詩人になれると思わないか」

「さっきから思っている。心理医者と一夜を送ると、やはり、僕の心臓はほぐれてしまった」

「そうとは限らないね。ここは地下室アントン。その爽やかな一夜なんだ」


(尾崎翠 「地下室アントンの一夜」昭和七年 八月)


9月3日



 ねえパパ、こんなことになるくらいだったらさ、あたしときどき思うんだけど、あの馬をあたしのために生かしておいてくれた方が安上がりだったと思わない?
 おまえが何の話をしてるんだか、よくわからんな、と彼。
 デンジャラス・ダンのことよ。あの晩、あたしに話してくれたこと覚えてるでしょ。彼が死んだあとで。
 おまえには何も言わなかったぞ。
 そう、それならいい。たぶんあたしは夢見てたのね。あたしはベッドにいて、起こしたのは彼なんだし、そんなことは初めてじゃなかったもの。だけど今は、安定剤のまされて、夢遊病者のような感じがする。だから、それがほんとうには起こらなかったことだっていうのも、信じられるみたい。たぶん、あたしはいろーんなことを夢見たんだと思う。あたしが、あたしの人生で起こったと思いこんでるようなことを。あたしがやったと思ってることを。あたしにふりかかったと思ってることを。そうだとしたら、最高じゃない?あたしは、人生の90パーセントはただ夢を見てるだけ、そう思っていたいのよ。





(ジェイ・マキナニー 著 宮本美智子 訳 「ストーリー・オブ・マイ・ライフ」1988年)


2011年9月6日火曜日

2011年9月3日土曜日

9月1日

お客さんからの急な依頼があり、夕方、船場センタービルに走る。
わたし「センタービルの、何号館?」
社長 「4号館より、向こう!」
わたし「4号館って、西?東?」
社長 「堺筋から西!」

外に出た途端にどしゃぶり。
道路が川のよう。
ずぶぬれて駆け込んだコンビニで、店員さんに同情の声をかけられながら傘を買う。

センタービルの中に入るのは、はじめてなのだ。
既にシャッターを閉め始めた店舗もある。
ああ みつからなかったらこまるなあと、脈拍がはやくなる。
あと10分で閉館、というときに、赤い綿の生地がさっと目に入って、
奥で新聞を読んでいたおじいさんに声をかけた。

わたし「(生地の見本をみせて)この生地の地の色とおなじような赤の色の、綿の生地をさがしてるんですけど」
店主 「・・・・・これとおなじプリントさがしてんの?」
わたし「プリントじゃなくて、地の色と同じような色の無地のをさがしてるんです」
店主 「・・・・・この色は、特殊な色やで。こんな色のは、無いで。
    倉庫にやったら、あるかもしれんけどな。明日やったら、出せるけどな。」

(「特殊な色」。そのとおりです。
これは、さっきまでずーっと色合わせに苦労していた、赤のプリント生地なんだもの。
赤をパントーンに合わせて生地にプリントするの、すごくむつかしかったんだもの。)

わたし「お客さんの依頼で、きょう中に要るんです」
店主 「・・・・・ここにある分で、あんたが、ええと思うようなやつが、あったら、それにしい。」

おじいさん、聴こえてないのかな と思うくらいの間が空いてから返事をしてくれる。
なんだかはらはらする。

このへんかな、とさがしていたら
店主 「これが、いちばん、近い色やと思うで。これが合わへんかったら、もう、無い。」
わたし「(うっ 全然ちがう おじいさん、ひょっとして、目が・・むにゃむにゃ・・)
    うーん、ちょっとこれは、むらさきですね。」
店主 「・・・・・そうか。ほんなら、あんたが、納得するやつがあったら、それにし。」
わたし「はい。・・・・・ごめんなさい、こっちにします」
店主 「・・・・・これか?・・・・・・これが、あんたの、イメージに合うんか?」
わたし「はい。これをください」
店主 「・・・・・これ、どうすんの。なんかの、敷きもんに、すんの?」
わたし「中国に送るんです」
店主 「・・・・・中国に、送んの。たいへんやな。」
わたし「領収書、ください。」
店主 「・・・・・領収書、要んの。」
わたし「はい。」
店主 「・・・・・お名前は、どうすんの。」
わたし「空けといてください。」
店主 「・・・・・空けとくの。」
わたし「はい。」

だんだんおじいさんのテンポがツボにはまってきた。
いい人だったな。
ほんとにこの生地でよかったんだろうか、と心配しながら会社に帰った。

きょうから、9月。
痩せつつあるので、たくさん食べた。
すこし、地に足がおりてくるといいとおもう。
september

8月31日

きょうで8月も終わり。
きびしかった夏のあいだ、覆いをかけていたベランダにおかれた鉢植えたちのぐあいが、
かんばしくない。
とくに夏ばての様相をしめしているのが、クリスマスローズ。
こんどの冬は、咲くだろうかと心配。

8月はとぶようにすぎさってしまった。
てのひらをするすると抜けていって、なにものこらないような、へんなかんじ。
のこらないのが、よいような。
のこらないのが、不安なような。
どこへいくんだろう。
black hole

8月30日

また、ぐったり寝ていた。
すぐ疲れるので、いろんなことができないからだである。
いつも、人とくらべてなさけなくなっていたけど、
このごろ、もういいやと思う。
なげやりさと受容とが5分5分ぐらい。
burning mountain

8月29日

社長がさきにかえってから、ミシンがけのしごとをした。
ミシンをかけているとき、なにもかんがえていなくて、きもちがいい。
dying star

8月28日

ふとじぶんの指をみると、小指に嵌まっている指輪がとても鬱陶しいものに見えた。
いつから嵌めていたのだかおもいだせないけれど、
なんとなく、しみついている記憶がいやな感じがして、
(指輪に記憶がしみつくということがあるかどうかしらないけれど)
抜いて、ごみ箱にぽいと捨てた。

捨てると、惜しくもなんともなくてあっさりした気持ちだった。
抜いたあと、そこだけ指が痩せていた。
violet lake

8月27日

またぐったりと寝ていた。
はげしい雨の音と、雷の音をきいていると、こころがしーんとしずまった。
あれからひと月になる。
after 1 month