2011年10月31日月曜日

10月10日

妹がやってきた。
夕飯に、生春巻きをつくった。
ライスペーパーに一瞬水をふりかけて、
キャベツの塩揉みしたのとかきゅうりの細ぎりとかトマトのスライスとか
レタスとかささみの塩茹でなどをのせて、巻いて、
甘酸っぱ辛いたれをつけて、たべる。
わたしは、ささみ抜き。

以前、肉と魚抜きで過ごしたとき、
中性脂肪と蛋白がへりすぎて医者に注意をされたので、
卵は食べることにしてみた。
茹でたまごも、すこし巻いた。

妹と、映画の話。
妹 「『冷たい熱帯魚』って観た?人殺して、切り刻むねんけど。もう、狂ってんねん。」
私 「わたし、そういうのはそんなに好きじゃないかも。。。」
妹 「おなじ監督の『愛のむきだし』っていうのもおもしろいねん。観てほしいわ。アホやし。」
私 「うん・・・」


私 「ことし観た映画のなかで、あれがよかったんやけど、タイトルが出てこないわ。。
   ほら、あの、老夫婦の、美術コレクターの。」
妹 「ああ、あれ良かったわ。何やったっけ。」
私 「うーん。なんか、『シド&ナンシー』みたいなやつ。。。」
妹 「それ言われたら、余計に思い出されへん。」

夕飯を食べて、妹は帰っていった。
妹とはいろいろあって、ぎくしゃくしていた時期があったのだけれど、
こういう普通の会話がやっと普通にできるようになってきた、と思った。

夜半、レイさんの音楽をききながら、アクセサリーを作った。

10月9日

ねこさんがわたしのきもちのわるいじんましんの写真をみて
「あらまあ ひどいな。」と返事をくれていたことに、朝気がついた。
このくらいさらっとした返しかたをする人だということを知っているから、
送ってしまったんだろう わたしも と思った。

同時に
そういえば、両親はわたしのこの病気のこと、ほとんど何も知らないんだ
ということに気がついた。
きゅうに、なんとなく、むかむかしてきた。

わたしもわたしで、じんましんが出ている時は部屋にひっこんで見せなかったし、
何がどうなってどういう状態かっていうのも話さないし、
家族からみれば、ずっと部屋にひっこんで寝ている人じゃないか?
むかむかしてきた。

昼間、母にきのう撮った写真を見せて、この病気でいろいろつらい、
ずっとつらかった ということを説明した。
めんどうくさいことや都合の悪いことからいつも逃げる父は、庭にいたようだった。

ともかく、わたしは、
体質をかえたいので 肉と魚を食べるのをやめます
と親に宣言した。
母は、おおいに賛成してくれた。

10月8日

きのうのヒーラーさんのことばをなんどもなんども思いかえした。
「じつは、怒りとかなしみというのはおなじ質のものなのね。
おなじものなんだけど、
それがつよいエナジーを持った時には怒りになって、
よわいエナジーをもったときにかなしみになるのね。
怒りがとじこめられると、エナジーが弱まって、かなしみとして出てくるの。
あなたの場合ね、何ということもなくいつもかなしい、
っていうような感じになっていると思うんだけど、
それはそういうことなんです。」

合点がいく。
合点がいきすぎる。
そういうことだったかと納得すると、
そういうことだと思ってしまいすぎることになる。
ほんとうは、そこを通り抜けようとしているはずなのに、
じぶんからそこにとどまってしまいそうになっている気がする。
過去のじぶんといまのじぶんと、未来のじぶんが、ごたまぜに、ここにいる。

昼さがり、とても楽しみにしていた展覧会をみにいった。
あるともだちの作品がほんとうにすばらしかった。
木漏れ日と月あかりと、あらゆるいきものとあらゆる生きていないものと
あらゆるかたちとことばとが、うすくかさなりあって消えかけて、
いろをかえて、点滅している。
すべてがそこにあって、ただただみのがすこともできるし、
じっと見つめていたっていい。

それをみていて、世界はほんとうにうつくしいところだな と思った。
うつくしいのに、わたしは、まだ、かなしいところにいる、と思った。

会場でまみこさんとサキ兄に会ったのだけど、そんなこんなでうまく話すことができなかった。

夜にはたいそう盛大にじんましんが出た。
医者にみせようとおもって、ものすごい状態になった腕の写真を撮った。
ねこさんに「かゆい きもい つらい」と写真つきでメールして、
すぐに「やつあたりやわ ごめん」とあやまった。
返信が来ているのにも気がつかず、かゆさに気がへんになりながらよこたわっていた。
ためこまれた怒りとじんましんには、なにか関係がありそうな気がする と
ちらりとかんがえながら。

2011年10月22日土曜日

10月7日

心と体の具合がまずい感じがつづいていて、これはちょっと誰かの助けが必要だとおもっていたところ、
ちょうどえり子さんがおすすめしてくださったので、ヒーリングを受けた。
チベタンパルシングヒーリングというもの。初めて受けた。

ヒーラーのひとがわたしの体のうえに立ったり乗ったりしながら、いろんなふうに体に圧をかけて、エネルギーを送ってくれるような感じ。
そして、体勢を変えるあいまあいまに、いろんなことを伝えてくれるのだった。
「いろんなことを思ったり考えたりしてるんだけど、いつもそれを他人みたいに見てるのね。
じぶんのことを他人みたいに思ってる」
「うさぎタイプね。うさぎって、あなぐらのなかに入ってて、ちょっと顔出して、
そのときにちょっとでも風が吹いたら穴の中にもぐってしまう。
それで、虎タイプとかライオンタイプの人からは、『弱虫』って苛められたりするんだけど、
うさぎは、ちゃんと理由があってそうしてるし、うさぎにはうさぎの強さがあるの。
だから、無理に狼のふりをしたりしなくていいの。」
「中はものすごく熱いんだけど、外側がめちゃくちゃクール。あと、こころの中ではものすごーく、人に頼らずに生きていきたいっていう気持ちが強いのに、外側はなんか、大正時代の女(笑)みたいに見えたりするのね。
そういうギャップが、なんか、おもしろいっていうかねー。」

おへそのまわりに、肉がかたくて痛い場所がある。
そこに、ヒーラーさんの手指が、ずずっと入ってきた。
わたしは目を閉じるようにいわれていて、何がどうなっているかはわからないけど、
感覚がなくなるぐらい深部までヒーラーさんの手が入ってきたみたいな気がした。
レーザー治療をうけるってこんなかんじかな、と思ったりした。

それから、そのもうすこし下ぐらいのところにも、ヒーラーさんの指が当たった。
「そのへん、なんか、かたい気がするんです」とわたしは伝えた。
漢方医の触診のときも、「ここ、なんかあるね」といわれていたのだ。

ヒーラーさんのはなしでは
「ここね。あなたの、今いちばん問題があるとこなのね。チャクラって、わかる?
ここは、第2チャクラっていうんだけど。あなたの第2チャクラ、完全に閉じてしまってるの。
この場所っていうのは、『はらがすわる』とか『はらをきめる』とか、それこそ、『はらをたてる』、そういうところでね。
エネルギーの大元なの。ここが、傷ついててね。
それは、前世で弱い立場にあったときに受けたものだったり、もう、いろいろなことがあるんだけれども、
その傷を守る為に、閉じてしまったのね。
あなたの場合は、子どものときに、じぶんで閉じてしまったのね。あなたは、正当に怒っていたのだけれど、それを否定されて、その怒りを封印してしまったのね。
『怒っている自分がいけないんだ』と思うようになって、怒っている人を見るのも嫌だし、自分が怒るのも、嫌になって。
そうやって、子どものときに、閉じてしまった。
怒りを封印するというのはね、さっきもいったけど、『はらをきめる』とか『はらをすえる』とかいうことと、すごくつながっててね。
あなたは、怒らなくなったかわりに、『決断』ができなくなっちゃったわけ。
ここが閉じてるとね、今わたしは、脚の方へエネルギーを送ろうとしたけど、あなたも、なんとなくフヨフヨっと感じていたとは思うけど、お腹でブロックされてるぶん、エネルギーがとどかないのよ。
あなたの場合は、外側のクールさによってもブロックしてるからね。
外側と、腹との両方でブロックをしてしまってるので、何ものもあなたのなかには入れないようになってるの。
ハートのほうでは、『いつまでもひとりぼっちっていうのはどうかしら』と思っていたりはするんだけどね。

だからね、封印された怒りを、ぜんぶ、ハートできいてあげること。
こうやって、左手はハートチャクラのところにおいて、右手はこっちの第2チャクラにおいて。
そして、『あいつ、やな奴だ!』って第2チャクラが言ったら、ハートのほうで『そうだそうだ、おまえは正しい』って言ってやるの。
可笑しいかもしれないけど、ほんとうに、子どもが駄々こねるようなものだと思って、
どんなことでも、『そうだそうだ』ってきいてやるの。」
とのことだった。

わたしはヒーリングのあいだ、ずっと泣いていた。
ヒーラーさんは帰る前に
「きょうは色んな風景がみえたり、色んな人の顔が浮かんだりしたかもしれないけど、
それはすべて、もう終ったことだから。」
「ヒーリングは今日から3日間つづきます。そのあいだ、あなたにしてほしいことは、あなたにとって大事なことは、
わがままに過ごすこと。寝たいときに寝て、たべたいものをたべて、嫌なことは断って。
わがままっていう言葉はわるいようにきこえるかもしれないけど、『我が儘』にあるっていう、大事なことでもあるのよ。
あと、大好きなものをわざと『大っきらい!』って言ってみるのもいいわ(笑)」
「最後に、眼のところ、やりましたけど、そのときに、あなたの『クール仮面』、ちょっと外しておいたから(笑)」
「こうやって、最後に話をするのは、目が覚めた時に、夢だったと思う人がいるからなんです。
一旦目ざめてもらって、こうして話をしてから帰るのね。またいつかゆっくり会いましょう」
と言って、わたしを寝かせて、帰っていった。

目が覚めたとき、やっぱり、全部夢だったんじゃないかと一瞬思った。
もちろん夢ではなかった。

わたし自身が一瞬でなにか劇的にかわったような気はもちろんしないし、
なんだったんだろう、わたしはどうなってくんだろう、とおもったり、
「全てはおわったことだ」と言われると逆にいろいろなことを思い出したり、
ワガママってどういうことだろ、今でも充分ワガママしてない?とおもったり、
第2チャクラについて調べていろんなことが納得いったり、
そんなこんなで、大揺れに揺れて不安定に夜をすごした。

10月6日

エコ配(自転車で集荷と配達を請け負ってくれる配送業)の「榎本くん」が最近の社長とわたしのブームである。
今日も集荷を依頼していた。
わたしが夕飯の買い物から戻った時、まだ荷物が残っていたので
「榎本くんまだ来てないんだね」と社長に尋ねると
「さっき電話かかってきてさあ、『あと10分ぐらいで着くので、下で待っててくれませんか』って言うの。
『ほんまに10分で来るの?5分なん?10分なん?』ってきいたら、
『7分ぐらいです・・・』って言うから、『7分後やね?じゃあ7分したら降りるから』って言っといてん」
とのこと。
「降りる」とか「下で待つ」とかいうのには事情があって、
うちの事務所はビルの5階にあるのだけれど、
夕方5時すぎになると、大家さんが1階の入り口の鍵を外から閉めて帰られるので、
それ以降のお客さんには、入り口から事務所まで電話をかけていただいて、
わたしたちが下まで降りて鍵を開ける必要があるのだ。

エコ配の榎本くんは、少しでも集荷を効率よくしたかったのだろう。

さて、「7分後」に降りていった社長は、それから10分ぐらいしてやっと上がってきた。
そして、お腹をおさえていた。
社長 「なんかさあ、結局待たされてさあ。
    やし、榎本くんに『もう、外で待ってるの寒いから、今度から、下についたら、呼んでくれる?』
    って言ってん。そしたらさあ。」
わたし「うんうん」
社長 「(ちょっとはあはあしながら)そしたらさあ。榎本くん。
    (上を見上げて5階の窓のほうをみるような仕草をしながら)
    『ええっ、聞こえますかねえ・・・?』って言うねん。。」
わたし「ううっ」
社長 「笑ったらあかんと思ってんけど、爆笑してしまってさあ。
   (はあはあしながら)『電話、持ってないの?!』って聞いたら、 
   『ああっ!持ってました!』って言うねん」
わたし「ううっ 榎本くん。。。」
ふたりで真っ赤になるくらい笑った。

社長は榎本くんの携帯番号を事務所の電話に登録している。
この近辺の産業を支えている、エコ配の榎本くん。
辞めないでずっと続けてほしい。

10月5日

 雑誌を読んでいたら、「大島弓子の漫画には死と食べ物が描かれている」と言っているお菓子研究家のひとのはなしがあって、うんうんと思った。
「ノルウェイの森」だと、ミドリちゃんがワタナベくんに「ポルノ映画に連れてって」と言うところだけれど、大島弓子では、そんなふうにはけっしてならない。
 川原泉の漫画だともっともっとたくさんのたべものが描かれていて、少女達は袋入りのまんじゅうやあんまんを片手に握り、胃のやすむまもないかと思われるほどにいつでも「もぎゅもぎゅ」している。
 はみだしていて、ニヒルでひねくれているんだけど、いつでも「喰うか?」とあんまんをさしだしてくれる、こころ優しき少女たちだ。
 

2011年10月17日月曜日

10月4日

 「私は自分の見た悪夢を映画にしただけだ」-----ダリオ・アルジェント


悪夢というのはときに、ひとを癒したりすることもあるんじゃないだろうか
と最近思っている。
それが映画にされたものであるなら、なおのこと、だ。

10月3日

金木犀のかおりにかんして、ひとはいろいろな思いをいだくようで、
この季節になると皆がくちぐちに金木犀 と言いはじめる。
わたしにとっては、金木犀のかおりというのは、
あつい季節がほんとうに終わるよとしらせてくれて、体をほっとさせてくれるかおり。

だけど、ここ数年、このかおりがただよいはじめると、うっすらと、何かおちつかない、
へんなイメージがうかんでくるようになっているのだった。
牛の頭の骨から金木犀のかおりがする って。
そんなはなし、どこから出てきたんだろう。
ほんとにそんなはなしがあったかな。
きいたような気はするけど、それはわたしの夢かもしれない。
それで、すなおに金木犀をよろこべない。

曇り雲のような不確かさがもやもやととりついてくるから、
真偽をたしかめることにしようと決心して、メールを打った。

わたし 「あのね、昔、牛の頭骨から金木犀のにおいがするから金木犀のにおいがきらい って言ってた?」
ねこさん「そんなんよう憶えとるな〜!すごい。」
わたし 「ああ その話わたしほんとうに聞いたんやね それ確かめたかったん。」

もはや、なんで牛の頭骨が金木犀のにおいだったのかも、
その頭骨がどこにあったものだったのかも、
ねこさんが金木犀のかおりがきらいだということも、どうでもよくなっていて、
ただその話をきいたのが実際にあったことだったかどうだったかだけが重要だった。
たぶん、10年くらい昔のはなし。

牛の頭骨と金木犀の組み合わせが、ラテン文学みたいでつよく印象にのこったらしい。

10月2日

じんましんをだしてふうふう息をしながらもスーパーへ行った。
どうしても、の用事があったから。
今年の春、ヒヤシンスを咲かせられなくてとてもかなしく残念だったので、
来年こそは咲かせたかったから。
今年の春は、ただ部屋にヒヤシンスが咲いていないというだけで、春を待ちのがしたような気持ちでいっぱいになり、
インターネットでヒヤシンスの水栽培の写真をたくさん検索して片っ端からながめて、
よけいに惜しい気持ちになったりしていたのだった。

あの頃は、つぎのヒヤシンスまで待つなんて、永遠のように先の未来だと感じていたのに、
いつの間にやら、もう目の前に球根が並んでる。

しゃがみこんで色に迷いながら、
水栽培用の、なるべく大きいのを買った。
季節にはいってすぐに買いに行ったので、大きな球根が手に入った。
白いのと、青いのと、ピンクのと、赤の球根。
今年は、そういう色の気分らしい。
どういう気分なんだろう。

夜、ひさびさにルガンスキーの演奏するラフマニノフのピアノコンチェルトをきいた。
去年いちばん多くきいたCDだ。

10月1日

夢でいちばんあざやかに見るのは、赤い血の色。
このごろ、大量の血の夢をよくみる。
それが実のところ何を意味するのかはわからないけれど、
起きたあとには、なにやら憑き物がおちたみたいな、
ある意味で爽やかともいえる気分になる。

2011年10月2日日曜日

9月30日

きのう思ったことをなんどもくりかえし、おもってみる。

乗っていた道が、どこかべつの層をはしっている道につなぎかえられて、
がこーん、と、はまったような感覚がしている、
おとといあたりから。

もし、あのひとがいなくなっていなかったら、それはおこらなかったのだろうか、
もし、あのひとがいなくなっていなくても、それはおこったのだろうか、
などと
どうしても考えてしまい、しかし、

あのひとがいなくなったということも、
「がこーん」のうちにあったのだろう、
というところにおちついた、きょうのところは。

この「がこーん」は、おおきいから、
まだしばらくゆれてもしかたない。

9月29日

かわってもべつにいいし、
むりにかわったりもしなくても、
いいし。
と、思った。

ブログのサブタイトルをあらためて読んで、
ああ、じぶんで思ってたのに、わすれてるときもあるのよ。
と、思った。

2011年10月1日土曜日

9月28日

ぴたーっと、鏡みたいにしずかな湖、っぽい日だ。
と、朝、おもった。
きのうから、新月だった。

事務所のドアをあけたときも、そんな空気だった。

あれは、社長がその年齢のわりには非常に豊かな包容力を発揮しているせいだ
とわたしはいつでもおもうのだけど、
いつものお客さんも、あたらしいお客さんも、
たいてい、社長に会いに来たひとは、誰もが、
本題のあとにぴろぴろっと、本音やら秘密やらをうちあけて帰っていくのである。

「僕、リコンしたんですよー こないだ。」
とかいう話をしていくひともなかにはいて、
そういうとき、わたしは自分の存在感を瞬時に消すようにしている。

ときどき、みえないところに回って吹きだしてしまっていることも、ある。

9月27日

午前、漢方医を受診して薬を処方してもらう。
薬を飲みだして17年目になる。
午後、洋裁の学校を見学に行く。
帰って夕飯を用意して、ひさしぶりにピアノをひいた。
腕の筋肉がすっかり萎えて、指もちっともうごかなかったけれど、
ひとつのフレーズをなんどもなんども練習するのがここちよかった。

母がかえってきて、ひさしぶりに二人で会話しながら夕食をとった。
「結婚しないでずっとひとりで暮らしてて、歳をとってから精神病になる女の人が最近多い気がするわ。」
と話し出す母の職場は、とある老人保健施設なのだけれども。
同じような話、前にもきいたよな。。。と思う。

私「まあ、もともとその気があって、結婚できなかったのかもしれないけどね」
母「そうかな・・・そういう人、どこ(の施設)も引き取り手がないから困るんよね。
       うちでも、今日、断ったんよ。」
私「そうね。今は、無いよね。」
(わたしは病院ではたらいていたのでそのあたりの事情はほんの少しだけ想像ができるのだった)
母「でも、これから、独身のまま歳とってく女の人はどんどん増えるでしょ」
私「うん。多くなるよ。でも、私たちの世代になれば、そういう人ばっかりの施設みたいなのもできるんじゃない?
  あと、ゲイのひとの、と。それで、みんなで助け合っていきていくから。笑」
母「そうやね。助け合って、ねえ 笑」

はい、たすけあって、いきますから。
だめならだめで、しょうがない。

あの日からちょうど2か月がたった。

9月26日

だれもいない家で、ゆっくりとすごした。
しずかな部屋で、しずかにしずかにすごした。

それから、
この2ヶ月あまり、いったいわたしはどこにいたのだろう とおもいながら、
カードをえらび、ならべた。


どうやら、わたしは、この数ヶ月、じぶんが変わってしまうのが、こわかったらしい。
じぶんのなかで、ないことにしていたようなもののいろいろが目の前にあらわれてきて、
それをじぶんの一部にするのがこわくて、
それがじぶんのものになることがみとめられないような状況をいっぱいじぶんでつくってみたりして、
いたらしい。
(こんな表現ではなんのことだかさっぱりわからないでしょうけれど。すみません。)

まあ、それだって、わたしの勝手な解釈なので、誰に説明するためのものでもないのだけれど、
わたしはなんだか、ぐちゃぐちゃにからみあった糸がするするっと解けていったきもちになった。

はあ、なんだ、それだけのことか、とおもった。
それだけのことだったのに、うずのなかにいると、何もみえなかった。
波にのまれたじぶんの脚がぐにゃんとなって、息がくるしい、ぐらいのことしか、わからなかった。
ただ、こわくなると、あんなにも、自分を否定することばがとめどなく、
こころのなかに湧いてくるんだな ってことを知った。
そんなにこわかったのか、変わるのが。

こういうことはまたくるかもしれないし、こないかもしれないけれど、
こんなふうになった、ということを、
なかったことにはしないでおこう。と思った。

注文していた、来年ようの手帖がとどいた。