2012年9月30日日曜日

9月29日

  先日検査に行ってきた母に、ちょっとした病気が見つかったという。
咄嗟に、わたしのせいも何割かは入っているのだろうな、と思う。

母は苦言をいわなくなったけど。

いろんな意味で期待されてわたしは生まれ、育てられ、
いろんな意味でいま失望されているのを、わたしは知っているからだ。

親だし、子だし、仕方がないことなんだろうとは思う。
仕方がないけど、わたしは母ではないのだった。

期待というものを、(それがあったとしての話だけれど)
ある程度知らんぷりしないと、わたしはいられなくなるから、
少し、知らんぷりして、
そしてできる親孝行というものを考えよう、と思って、
でもまだ感情は追いつかなくて、胸が痛くなったりして、
いつもほどごはんがおいしくなかったのだった。





9月28日

みどりちゃんの住む町へ。
インド料理やさんの、明るい窓辺でランチをたべて、たっぷり2時間くらいくつろぐ。
みどりちゃんは、魔法瓶にお白湯を入れて持ってきていて、紙コップについでくれた。
きちんと20分間沸かされたお白湯だった。

リサイクルショップをのぞいて、ノリタケのめずらしいデミタスカップや、
ソニア・リキエルのちょっとキッチュなブローチが格安価格で置かれているのを発見して驚いたり、
軽い山登りをして、徐々に澄んで濃くなる空気のレイヤーをとおりぬけて、
ぱっと開けたところにある、清荒神さんにお参りしたり、
山をおりて、鯨のようなかたちのカトリック教会にみとれたり、
こじんまりとちょうどいい大きさの街に入って、ふしぎなアートセンターの蔵書をながめたり。

夜は、お風呂やさんへ行った。
みどりちゃんが選んで貸してくれた、生まれてはじめて着る花柄の水着で、
エレベーターで最上階へあがり、
ホテルの屋上のプール(そんなところへ行ったことはないけれど)みたいな露天風呂に浸かって、丸くくり抜かれた打ちっぱなしのコンクリートごしの夜空をながめたり。
丸い形のお風呂、丸く抜かれた天井。
丸いコンクリートの穴と、その向こうがわに広がる濃い夜空の境い目を、
お風呂に浮かびながら見ていると、
浮かんでいながら向こうへ落ちていきそうな、
子どものときによく感じた、あの感じがした。

丸いお風呂から出て、夜風にさらされながら街のあかりのほうへ寄ると見えた、丸い月。
高い場所で、お互いにぬれた水着で、ならんで風にふかれて街や月を見る、へんてこな感覚は、
未来がもっとたのしみになるような気持ちにも、させてくれた。
たっぷりと芯までぬくもって、そのぬくもりがなくならないようにストールを巻いて、
最終電車に乗った。